ヌウズ――でも、ここに、あなたに宛《あ》てた書留が一通。
[#ここで字下げ終わり]
「ノン」
「ははあ。では、前芸はも早これまで。これよりはご馳走《ちそう》の食べっくら。……一番沢山食べたひとには、王様からご褒賞《ほうび》が出るという話」「ノン」
「さあ、さあ、あちらには鵞鳥《がちょう》の焼肉羮《サルミ》とモカのクレエム。小豚に花玉菜、林檎《りんご》の砂糖煮《マルメラアド》。それから、いろいろ……」
「ノン」
「じゃ、どうすればお気にいるのですか? いっそ、あたし、あっちへ行っちゃいましょうか?」
「ウイ! ウイ!」
 六、八月六日満潮午後三時干潮午前同刻。細い毛脛《けずね》を風になびかせ、だんだら模様の古風な水浴着《マイヨオ》を一着におよんだコン吉は、蜘蛛《くも》の子のような小さい紅蟹《べにがに》が這い廻る岩の上へ、腰を掛けたり立ち上ったり、まだ明け切らぬ海上を照らす浮き灯台の点滅光をわびしげに眺めながら、かねて貧血症の唇を紫色にし、毛を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》られたクリスマスの七面鳥のように、全身を鳥肌立てながら、片足を水に入れては躊躇し、また片足を水
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