墜落するもあり、インキを振りまくもの、窓の外へ枕を投げ出すもの、鞄の中を引っかき廻す、眼鏡を踏みつぶす、果ては羽根布団の腹を裁《た》ち割って、その臓腑を天井に向って投げつければ、寝室はたちまち一面の銀世界。さすがのタヌも、いまは早や天国の夢も醒《さ》め果て、衣裳戸棚の中に避難して、戦後のソンムの村落にも劣らぬ、惨憺《さんたん》たる光景を眺め渡しながら、ただただ溜息をつくばかり。
さればといって、この悪魔の弟子どもを戸外《こがい》に放つならば、とたんに四方八方へかけ出し、これをかき集める苦労というものは、ほとんど筆紙に尽せぬほど。
しかしながら、これらはまだ、二人の苦役としてはなま優しい部類であって、最も始末に終えないのは、この悪魔どもの餌《えさ》に対する偏癖であった。
その朝、コン吉がこの島中を跳《は》ね廻って買い集めた肉や菓子や、あるいは野菜や乾物や、――これらはタヌのはなはだ飛躍した手腕によって、お伽噺《とぎばなし》風の羮《スウプ》となり、童謡風の副皿《アントレ》となったが、八匹の悪魔は、このスウプを瞥見《べっけん》するや否や、
「これは、鳥貝《ムウル》のスウプでない!」と、どなり出した。まず、長男のジャックがどなり、続いて二番目のジャックリイヌが「鳥貝のスウプでない」と金切り声をあげ、三番目がわめき、一番チビの半悪魔までが、「鳥貝のスウプでない!」と拒絶する始末。コン吉とタヌは、王様にしかられた大膳職のように懼れ畏んでスウプの皿を引きさげ、今度は青豌豆《あおえんどう》のそえ物を付けた、犢《こうし》の炙肉《やきにく》の皿を差し出したが、これもまた、
「これは、車前草《おんばこ》の擂菜《ピュウレ》でない!」という合唱的叫喚《シュプレッヒ・コオル》によって撃退された。いろいろとききただして見たところ、この二つがこの島の常食だということが始めて判明したが、この頑迷|固陋《ころう》な小仏蘭西人達は、他《た》のすべての大仏蘭西人達と同じように、容易に日常の主義を変えないことに、はげしい衿持《きんじ》を[#「衿持《きんじ》を」はママ]持っているものと見え、コン吉とタヌが口を酸《すっぱ》くし、甘くし、木琴のように舌を鳴らして喰べて見せても、一向に動ずる気色がないばかりか、最後に差し出したヴァニイル入りのクレエムなどは、皿のまま放りあげられ、いたずらに天井の壁に、黄色い花
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