模様を描くにとどまったような次第。
 コン吉がこの朝暁《あさあけ》に、風邪をひいた縞馬《しまうま》のように、しきりに嚔《くさめ》をしながら、気の早い海水浴を決死の覚悟で企てようとするゆえんは、この島の鳥貝なるものは、一町ほど離れた沖合の小島にのみ群生しているからであって、されば、朝ごと、朝ごと、コン吉は干潮の時間を見計らい、身を切るような冷たい海を泳ぎ渡り、それを採取に出かけるのであった。
 一方タヌはといえば、これまた擂菜《ピュウレ》にするため谷を二つ越え、断崖の危ない桟橋《さんばし》を渡って、はるかなる島蔭の灯台の廻りに生えている車前草《おんばこ》を採集に出掛けるのであった。
 二人は、海へ行く道と山へ行く道の分岐点《ビフュウル》になる乾物屋の横丁《よこちょう》で、涙ぐましき握手をかわし、一人は海へ、一人は山へ、別れ別れにつらい課役に従うため、そこで訣別するのであった。思いようによれば、これはさながら、千寿姫と安寿丸の悲しい物語にも似ているようで、さすがに猛きコン吉も、その心底、いささか愁然たるものあり。

 さて、この悲しい朝夕が、いつまで続くことやら、床屋の香水棚へカアテンを張りに行ったジェルメエヌ後家からは、もう十日にもなるが一向に音便《おとさた》なく、小手《こて》をかざして巴里の方角を眺めやれば、うす薔薇色の雲がたな引き、いかにも快活な空模様であるに引きかえ、この島には雨雲低く垂れ、ねぼけ顔する灯台の回旋光が、雲の下腹を撫でては、空《むな》しく高い虚空へ散光するのであった。
 七、ドミノ遊びは白と黒との浮世の裏表。
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尊敬するお二人様。恋の手綱《たづな》と荒馬の鬣《たてがみ》はつかみ難いと申しますが、わたくしのこの恋心も、たとえばどのように上手《じょうず》な運転手が制動機《フェレン》を掛けたとて、きっと停《と》めることはできないと思うのでございます。実のところを申しあげますと、わたくしの愛する男は、床屋の弟子でも、波止場の力持ちでもございません。それはアントゴメリと申す曲馬団のチャリネなのでございます。ご承知の通り、このような小さな曲馬団などというものは、村々の市の日、または葡萄祭や、麦の刈入れ、時には村長のお嬢さんの結婚式だとか、村道の開通式だとか、わけのわからぬ暦《こよみ》に従って、年がら年中、地図にもないような村々を巡って歩い
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