先で、そっと角封筒に触わってみる。固い、ひどく四角張ったものを指の先に感じて、びっくりして、周章《あわて》て手を引っ込ませた。
「この中に、四千万円のお金が入ってるなんて、なんだか、本当のこととは思えないわ。……四千万円! どう考えても、すこし多すぎるようね」
キャラコさんは、紙挾みと角封筒を取り上げると、それを手に持って、長六閣下の居間のほうへ歩いて行った。
庭の奥の矢場のほうで、鋭い弓弦《ゆづる》の音が聞える。
キャラコさんは、縁から庭下駄をはいて、庭づたいに、矢場のほうへ入って行った。
長六閣下が、上背のある、古武士のようなきりっとした背《そびら》を反《そ》らせて、しずかに、弓を引き絞っている。まっ白い毯栗《いがぐり》の顱頂《ろちょう》のうえに、よく晴れた秋の朝の光が、斜めに落ちかかっている。
弓も矢筈《やはず》も、水のようにしずまりかえって、微動さえしない。
ヒュン、と澄んだ弓弦《ゆづる》の音がし、弓から離れた矢は、矢羽根をキラキラ光らせながら、糸を引いたように真っ直ぐに※[#「土へん+朶」、第3水準1−15−42]《あずち》のほうへ飛んでゆく。的の真ん中に矢が突き立って、ブルンと矢筈を震わせる。
キャラコさんは、長六閣下のほうへ近づいて行く。
「お父さん、あたし、きょう、お金をいただきましたの。この中に四千二十五万円ばかり入っているんです」
長六閣下が弓を持ったままで、うん、といいながら、振り返る。
「そうか」
キャラコさんは、情けない声を、だす。
「あたし、困ってしまいましたわ」
長六閣下が、おだやかに、うなずく。
「それは、困るだろう」
「あたし、かくべつこんなお金、欲しくないのよ。……それに、あまり多すぎるようですわ」
「それは、そうだ。……しかし、いずれこうなることはわかっていたのだから、覚悟はあったはずだ。なんで、そんなに周章《うろた》える」
「でも、あまりとつぜんなので、咄嗟《とっさ》にどう考えていいかわかりません。……あたしには、こんなたいへんなお金、とても、うまく使えそうにはありませんわ」
「失敗《しくじ》ってみるのもよかろう。初めからうまくはゆくまい」
「ねえ、お父さま、ともかく、これをどうすればいいのでしょう」
「そんなことは、自分で考えなさい」
「教えていただけません」
「教えてやってもいい。しかし、たいして役にも
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