手でやさしく馬の鼻面をおさえ、片手で秣のなかの木片や小石をとりのけながら、こんなふうにいってきかせているのである。
「待ってろな。……いつぞやのように、釘なぞはいっていたら、また口を傷《いた》めるだろが。……ほらほら、もう、すぐぞ、もう、すぐぞ」
まるで、大膳職《だいぜんしょく》のように、あれこれと細かく念をいれたすえ、ようやく飼料《かいば》が出来あがる。
老人は、秣槽《まぐさおけ》を飼料台の上にのせ、馬が喰べはじめるのを、後手《うしろで》をしながら、ひととき、うっとりとながめる。
「たんと、喰べろ、たんと、喰べろ」
そういいながら、着物をだいじにするひとがちいさな汚点《しみ》でも気にするように、馬の横っ腹にくっついた泥の飛沫《はね》を、掌でていねいにぬぐってやる。
「たんと喰べろ。……あわてずと、ゆっくり喰べえよ」
ところで、槽《おけ》の中にはたんと喰べるほどの秣ははいっていない。間もなく槽の底が見え出す。
馬は脅腹《わきばら》のところをピクピクさせながら、眼のところまで槽の中へ突っこんで、ぐるりについている秣のきれっぱしを舐《な》めとろうとするが、馬の唇ではそれをつまみと
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