ることができない。
 すると、老人は、
「おお、よしよし」
 と、いいながら、秣の屑を丹念にかきあつめ、それを掌《て》にのせて馬の鼻先へさしだしてやる。馬は、長い舌でデレリと舐めとると、満足したというふうに、眼を細くして、鼻面で老人の肩へしなだれかかる。
 老人は、平手でやさしく馬の首をたたく。
「おお、すんだか、すんだか。……せめて、もう四半桶《しはんおけ》もほしかろうも、がまんせい」
 そして、馬車の上の苗木のほうを顎で差して、
「あれが、一本でも売れたら、胡蘿蔔《にんじん》を三銭買ってやるけに、たのしみにして待っていろよ」
 いつの日も、判でおしたように、これをくりかえす。これほど胸をうたれる光景はなかった。
 老人は、馬車の側板《わきいた》の折り釘に引っかけておいた小さな包みをはずすと、
「では、おれは、午食《ひる》をつかってくるけに、しばらくここで待っていろ、いいか」
 と、いいきかせて、軽い跛《ちんば》をひきながら公園のなかへはいってくる。
 やれやれというふうにベンチへ腰をおろすと、弁当の包みをたいせつそうに膝のうえへおいて、ニコニコと笑いながら、ひとわたりグルリと公園の
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