へんね。きっと、なにか、始まりかけているんだわ」
 キャラコさんは、すこし、赧《あか》い顔をした。
「ええ、あたしも、そう思うの。……あの絵のことを考えると、胸んところが、熱くなったり冷たくなったりして、なんだか妙に落ち着かなくて困るのよ」
「ふうん、熱くなるって、どんなふうなの」
「つまり、ドキドキするのよ。身体じゅうの血が、そこへ集まって来るようなの」
 イヴォンヌさんは、むずかしい顔をする。
「あまり、いい徴候じゃありませんな」
 キャラコさんは、聞こえない振りをした。
 イヴォンヌさんは、すかさない。
「ほら、ね。聞こえない振りなんかする。……いよいよもっていけないな。要するに、あなたは、あの絵の青年が好きになってしまったのよ」
 キャラコさんが、あわてて立て直す。
「イヴォンヌさん、あなたすこし過敏よ。……あたしが、あの絵にひきつけられるのは、そんな意味じゃないと思うわ」
「じゃ、いったいどうなの?」
 キャラコさんが、大きな声を、だす。
「あれはなんという流派《エコール》の絵か知らないけど、なんとなく、あたしの趣味にぴったりするのよ。あの絵のは、ひどく浪漫的《ロマンチック》
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