二人が、互いにどんな信頼し合い、愛し合っているかよくわかる。この二つの顔のなかには、意地悪や、憎しみのかげなどは露ほどもなく、正直と、愛情と、親切だけが輝いているように見える。
 キャラコさんは、いい友達を沢山持っている。イヴォンヌさんにしろ、従姉妹《いとこ》の槇子《まきこ》や麻耶子《まやこ》にしろ、日本女学園のやんちゃな五人組。……また、叔父の秋作や立上《たてがみ》氏。いま、ちょっとした過失の贖罪《しょくざい》をしているあの気の弱い佐伯氏。丹沢山《たんざわやま》で会った篤実《とくじつ》な四人の学者たち。それから、小《ち》っちゃなボクさん。
 みな、心のやさしい、親切な人たちばかりだが、どうしてかしら、この絵の青年にたいするような、溺れるようなふしぎな愛情や憧憬《どうけい》をいちども感じたことはなかった。
「ほんとうに妙だわね。……いったい、どうしたというのかしら」
 ともかく、その絵の前に立つと、理窟なしに心が弾《はず》んで来てどうすることもできない。自分でも、すこし妙だと思うけれど、ひとりでに顔が笑い出して、
「こんにちは、ごきげんいかが?」
 と、われともなく、つぶやいてしまう。
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