ところが、どうしたわけか、この石の門にはすこしも見覚えがない。門のそばから、灌木の植込みについた砂利の小径が、ひっそりと玄関のほうへ続いている。……この小径も、すこしも記憶に残っていなかった。
 キャラコさんは、すこし怖気《おじけ》がついてきた。自分が、いま、やりかけていることは、途方もなく突飛《とっぴ》なことのように思われだして来た。
 キャラコさんは、気持を落ちつけるつもりで深呼吸してみる。案外、効果があった。なにはともあれ、わざわざここまでやって来て、こんなことくらいにへこたれて、このままひき返すわけにはゆかない。
 キャラコさんは、玄関のところまで歩いて行って、呼鈴を押した。ベルが思いがけなく近いところでえらい音を立てて鳴ったので、びっくりして逃げ足になった。元気を出しているつもりなのだけれど、なんとなく魂がしっかりとすわらない。勢い、自信のない顔つきになる。負けまいと思って、例の、すこし大きすぎる口を結んで頑張りつづける。
 玄関の扉《と》が、内側から無造作に引きあけられて、よく釣り合いのとれた、背《せい》の高い、三十五、六の青年が屈託のないようすで現われて来た。
 油絵
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