……そして、あの青年が絵のままのようすでそこに住んでいる……。キャラコさんは、それを少しも疑わない。境遇としてはずいぶん奇抜なのだが、それが一向|訝《いぶ》かしく思わないのが、むしろ不思議なくらいである。
 ただ、現実と非現実の境目ぐらいのところを歩いているような、妙にたよりのない気持がする。ひょっとすると、油絵の風景の中へ紛れ込んで来たのではなかろうか。自分がいま歩いているのは現実の世界ではなくて、額椽の中の幻想の世界なのではないかといったような、とりとめのない不安を感じる。
 ところで、土橋を渡ると、果して、枳殻《からたち》の垣根が始まった。
 それから、雑木林を抜ける。……真向いの、なだらかな丘の斜面に、バンガロオふうの建物が側面に夕陽を浴びて、一種、寂然《せきぜん》たるようすで立っていた。
 キャラコさんは、満足そうな声を、だす。
「ほら、ちゃんとあったわ!」
 心がはずんで、唄でもうたい出したいような気持になってきた。早く門のところまで行き着きたくなって、口を結んで、せっせと歩きだす。
 下で見たよりも、しっかりした建物で、蔦《つた》のからんだ雅致のある石門がついている。
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