うのは、たしかに、趣味のいいことにちがいありません。
あたしは、胸の底から憤《いきどお》りの情がこみあげて来て、じっと坐っていられないような気持になって、思わず長椅子から立ちあがろうとしますと、少年は、ビクッと身体を顫《ふる》わせて、
「もう、お帰りになりますの?……ボクの話、たいくつなのね?……ボク、面白い話をしますから、もうすこしいてちょうだい。きっと、面白い話をしますから……」
急いで話を探し出そうと、あわてふためきながら、しどろもどろな声で、
「……あのね、……それは、ええと、……油絵の帆前船《ほまえせん》なんですけど、絵かきが、ボートを描《か》くことを忘れたもんだから、船が港へはいるたびに、船長さんは、陸《おか》まで泳がなくてはならないというの。……なにしろ、波だって碌《ろく》に描《か》けていないんだから、なかなか楽じゃないって……。どうこの話、面白い?」
あたしの鼻の奥を、なにか、えがらっぽいものがツンと刺します。あたしは、あわてて手を拍《う》ちながら、せい一杯の笑い声をあげました。
「ほんとに、楽じゃない、そんなふうなら! 陸《おか》へあがると、船長さんは絵具だらけになっているにちがいないわね、まあ、なんて面白いんでしょう!」
少年は、大きなためいきをついて、
「よかった、ボク。……では、まだ、遊んでいってくれますね」
「ええ、いつまででも!」
少年は、うれしそうにコックリすると、急に、物々《ものもの》しいほどの真面目な顔つきになって、
「お嬢さん、ボク、お願いがあるんですけど」
「ええ、どんなこと?」
「ボクに、お菓子のつくりかたを教えて、ちょうだい。ボク、絵だけはたくさん切り抜いてあるんですけど、どんなふうにしてこしらえるんだかわからないの」
といいながら、ポケットから小さな切抜帳《スクラップ・ブック》を取りだしてひろげて見せました。
切抜帳《きりぬきちょう》の中には、料理の本から切り抜いた青や赤や黄いろや白の、色とりどりに彩色された、原色版の美しいお菓子の絵がいくつもいくつも貼《は》りつけてありました。
少年は、うっとりと、それを眺めながら、
「ボク、じぶんで、こんなお菓子がつくれたらどんなにいいかと思いますの。時間がつぶせますし、それに、衛生的ですものね。……ボク、いちどお砂糖とメリケン粉を交ぜて喰べて見たの。でもどうしても、お
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