、とり立てて申しあげるほどのことでもない。……ただ、子供だけは、ああいう放縦な日常の中へ放って置くわけにはゆかないから、とりかえしたいと思って、さまざまにやって見たのですが、次々に隠し場所を変えるので、どうにも手がつけられないのです。……この間、ようやく東京にいることを突きとめて、ひとをやったのですが、どうしても出してくれない。……あれは、真澄を愛しているわけでなく、わたしに復讐するつもりで、ヤケになってやっているのですから、理窟でも法律でもおさえつけるわけにはゆかない。……わたしのほうも、そんな愚劣な感情に屈服する気はないのだから、いっそう話がむずかしくなってしまうのです。……人づてに聞いたところでは、真澄はわたしを軽蔑し、わたしにひどく反感を持っているらしい。わたしの、ちょっとした愚行を、利江が長い間かかって誇張《こちょう》して吹き込んだと見えて今まではわたしを憎んでさえいるそうです。……そうまでになった子供を、わたしの生活の中へ連れ込んで見たところで、果して、うまくゆくかどうかそれも疑問だと思うものですから、この間の交渉を最後にして、真澄を取り戻すことは断念しようと決心したのでした」
久世氏のいい廻しは、たいへんに上手でしたが、やはり、よけいなことをいいに来たもんだという、苦々《にがにが》しい調子が含まれていました。
あたしは、すこし赧《あか》くなって、
「さっきも、申し上げましたが、あたくしは、そんなむずかしいことでおうかがいしたのではありませんでしたの。ただ、これをお届けしたいと思って……。ボクさんも、たぶん、そうありたいとねがっているのだと思いましたから」
そういいながら、ボクさんが詩を書きつけた紙片《かみきれ》を、久世氏のほうへ押してやりました。
久世氏は、それを取りあげて、だまって読んでいましたが、間もなく投げ出すようにそれを卓《テーブル》の上に置くと、厳《いか》めしい咳払いをしながら、
「ちょっと、失礼します」
と、いいました。
立ってゆくのかと見ていると、そうではなく、ゆっくりと眼鏡をはずして、両手を顔にあてたと思うと、調子はずれな大きな声ではげしく号泣《ごうきゅう》しはじめました。
ちょうど海綿でも絞ったように、涙が両手の指の股からあふれ出し、筋をひいてカフスの中へ流れ込みます。まるで、含嗽《うがい》でもするような音をたてながら、
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