。要するに、あたしの想像でしかないのですから、それには、なにかたしかな証拠でもあるのかと、ききかえされたら、あたしは、ぐっとつまって、黙ってしまうよりほかはないのです。
 でも、たとえ、あたしが、どんな滑稽《こっけい》な羽目に落ち込んで、赤面しながら引き退ってくるとしても、あたしが、そんな感情をひき起こされた以上、どうしてもそのままにして置くわけにはゆきません。それからまた三時ごろまで、ひとりでもだもだしていましたが、とうとう決心して、やって来たのです。
 十分ほどののち、部屋つづきの扉《ドア》から、四十五六の、軍人のような立派な体格の紳士がはいって来ました。
 色が浅黒くて顎《あご》が強く両方に張り出し、内に隠した感情を決して外へ表わすまいとするような意力的な顔でした。
 久世氏は、あたしのような若い娘の訪問客を、ちょっと驚いたような顔で眺めていましたが、椅子に掛けると、社交的な、その実、たいへん事務的な口調で、
「今日《こんにち》は、どういう御用事でしたか。……なにか、長六閣下のおことづけでも?」
 と、たずねました。つまらない話なら、簡単に切り上げたいものだ、というようなようすがアリアリと見えすいていました。
 あたしは、胸を張って、しっかりした声でやりだしました。
「いいえ、真澄《ますみ》さんのことでおうかがいしたのです」
 久世氏は、ちょっと顔をひきしめましたが、あたしはそんなことには頓着なく、ボクさんと始めて逢った時のことからくわしく話はじめました。
 こんな多忙な事務家にたいして、あたしの話し方はすこし悠長《ゆうちょう》すぎたかも知れません。あたしが、まだ半分も話さぬうちに、さっきこの窓にさしかけていた夕陽が、向う側の建物に移っていました。
 あたしは、閉口して、こんなふうにいいわけをしました。
「こんなことを申しあげるためにおうかがいしたのではありませんけれど、順序よくお話をしなければお判りにならないだろうと思って、それで……。申しあげなければならないのは、これからあとのほうなのです」
 久世氏は、無感動ともいえるような冷静な面持ちで、
「いや、そのつづきをうかがってもしようがありますまい。……大凡《おおよそ》のことはご存知のようですが、あたしの結婚はたしかに失敗でした。……要するに、膚が合わなかったのですな。……しかし、こんなことはざらにあることで
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