うな大きな波がやってきて舵《かじ》を持って行ってしまいます。
難船だ! 難船だ!
悪い時は悪いもので、こんどは向うから妙な恰好をした船がやってくる。一|艘《そう》、二艘、三艘……それが、みな海賊船なんです。
轟然《ごうぜん》、一発! 弾丸《たま》があたって、折れた檣《はしら》がえらい音たててドスンと甲板の上へ落ちてくる。ベカッスさんは決心をします。たちまち響く戦闘開始の号音喇叭《クレーロン》!
……ちょうどここで六時十分前になる。惜《お》しいところで、またこの次にしなくてはならない。戦争は、明日《あす》にならなければ始まりません。
四
こんなふうに、あわただしい土塀のそばでの待ち合わせが、一週間ほどつづいたある日の午後、あたしが花壇のそばの小径《こみち》を歩いていますと、開け放したお隣りの二階の窓から、男と女がはげしく言い争う声がきこえて来ました。
どちらも、ひどく激昂して、なにかしきりにいい合っていましたが、そのうちに、門の扉《と》がひどい音を立てて閉《し》まる音がし、それっきりひっそりとなってしまいました。
あたしは、ボクさんの身の上に、なにか困ったことが起こるような気がして、気が気ではありませんでした。
次の朝、いつもの通り壊《く》い穴のそばでボクさんを待っていましたが、六時がすぎてもとうとうやって来ません。
その日は、半日ぼんやりして、なにも手につきませんでした。
夜になってから、塀のそばへ行って、お隣りの二階のほうを見上げますと、どこもここもすっかり鎧扉《よろいど》がとざされて、灯影《ほかげ》ひとつ洩《も》れて来ません。
ふだんなら、すぐ、しっかりした考えが浮んでくるのに、今度は気がうわずるばかりで、なにひとつ考えをまとめることができませんの。
(明日《あす》こそは、きっと来る!)
そんなふうに、じぶんを慰めながら、しおしおと帰って来ました。
でも、その次の日も、とうとう、ボクさんはやって来ませんでした。
その次の日も、次の日も……。
(きっと、病気なのにちがいないわ。もし、そうだったら……)
淋しがっているだろうと、お隣りの門のところまで駆けて行くのですが、そんなことをしたら、ボクさんが困るだろうと思って、ようやくの思いで、がまんするのです。その辛さといったらありませんでしたわ。
五日目の朝、とうとうたまりかね
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