けず劣らずにその辺をころげ廻ります。言葉では、とても二人のよろこびを表現することできないようなんです。
 ぞんぶんに暴れると、ようやく落ち着いて、できるだけより添って坐ります。
「キャラコさん、ボク四時ごろから目を覚ましていましたの。いくども時計を見たか知れないの」
「ボクさん、そうなのよ、あたしもそうなの」
 そういいながら、手早く草の上にナプキンをひろげます。サンドイッチが、白と朱肉色の切り口を見せて坐っています。赤い林檎《りんご》と冷たい蜜柑水《みかんすい》!
 ボクさんは、あまりうれしくて、すぐ手をつけるわけにはゆかないのです。塀のずっと向うまで駆けて行って、また駆け戻って来ます。それから食べるんですが、あわてふためいて、何もかもいっぺんに嚥《の》み込もうとするもんだから、喉をつまらせて、眼にいっぱい涙をためます。あたしは、いそいで蜜柑水を一口飲ませてやります。見る間に、サンドイッチが消えて無くなる。こんどは林檎です。
 ボクさんは、可愛くってたまらないというふうに、それを胸に抱きしめて、
「林檎さん、林檎さん」
 と、いいながら、頬ずりをします。
 あたしが、さいそくします。
「はやくお喰《あが》んなさいね、早く、ね」
 困ったことには、利江子夫人は、毎朝、かならず六時ごろ一度眼をさましますが、この時、ボクさんの部屋からヴァイオリンの練習をする音がきこえていなくてはならないんです。
 五時半までには、あと四十分ぐらいしかないのですから、ゆっくり喰べさせて置くわけにはゆきません。しなければならないことが沢山あるんですもの。
 ようやく、林檎が無くなります。二人は兎小屋へ駆けて行って五分ほど兎と遊びます。シーソーを二三べん。厩《うまや》へちょっと寄って、馬さんに挨拶をして、またもとのところへ戻って来ます。
 あたしは、急いで絵本をひろげる。『ベカッスさんの宝島探険』というお噺《はなし》なんです。
 きのうは、ベカッスさんが帆前船《ほまえせん》に乗り込むところまで行きました。きょうは、いよいよ船出しなくてはなりません。さまざまな手真似をまぜながら、あたしが読みだす。波の音や風の音まではいるんです。
 ボクさんは、草の上に猫みたいに丸くなって、酔ったようになって聞いています。
 ……どうも、工合の悪いことには、ベカッスさんの船がだんだんゆれ出す。ひどい風だ。山のよ
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