て、また、暴れまくるこッたろう。……ほんとうに、こんな暑い日に、よくやって来ておくれだった。……なんだろう、きょうは、ゆっくりして行っていいのだろう」
「ええ、べつに用事ではなかったのですけど……」
 胸の中に臆心《おくしん》があるので、いつものようなのんきな調子が出て来ない。
「あの……、あまり、ごぶさたしましたから、……きょうは、ちょっと、お顔を見におうかがいしましたの」
 相手がなんともいわないのに、あわてて、じぶんから、
「ほんとうよ」
 と、つけ足して、心の中で赤面した。
 もちろん、疑うようすなどはなく、ほくほくと眼を無《な》くして、
「そうかい、そうかい。どうか、ゆっくりしていってちょうだい」
 女中たちが廊下の端に固まって、なにかコソコソいってるのへ聴耳《ききみみ》を立てて、
「こらこら、なんだい、そんなところでコソコソと……。どうも、躾《しつけ》の悪い家でねえ、あんなところで垣のぞきをしている。……なにしろ、この家じゃ、あなたの評判がたいへんなんだから、新しく来た女中どもがあなたを見たがって、それで、あんなことをしてるのさ。まあまあ、すこし見物させてやんなさい」
 その自慢らしい顔といったらないのである。
 キャラコさんが、なにより懼《おそ》れていたのは、母堂のこの底知れない愛情だった。
 古い旗本《はたもと》の家で、ずっと濶達《かったつ》なくらしをして来たせいで、六十を越えたこの年になっても、相変らず、派手で大まかで、元気いっぱいに、男のような口調でものをいう。
 キャラコさんは、小さな時から、気さくで太っ腹な、この大叔母がだいすきだった。
 浜子夫人のほうも、寛大で謙譲《ひかえめ》で、そのくせ、どこは硬骨《ほね》のあるこのキャラコさんが大々《だいだい》のひいきで、進級祝いなどには、あッと眼を見はるような豪勢な祝品《いわいもの》をかつぎ込んだりする。
 いったん、キャラコさんのことになると、すっかり夢中になって、とろとろととろけてしまう。自慢で自慢でしようがなくて、行く先々で、精いっぱいに吹聴する。
「うちの馬鹿どもとちがって、剛子《つよこ》はほんとうにりっぱな娘です。あたしゃ、ほんとうに日本一だくらいに思っているんだ。夫人《おく》さん、あなたの前だけど……」
 そのひとの家へ、今日自分が、何をしに来たかとかんがえると、キャラコさんは、すこし情けなくなる。
 留守でさえあってくれたら、多少、良心の呵責が軽くてすんだろうに、まるで舐《な》めずりたいというように、ニコニコとじぶんを眺めている慈愛深い母堂の眼に出逢うと、手も足も出ないような気持になる。
 せめて、放って置いてでもくれたらと思うのに、あれこれと気を揉《も》んで、いっしょうけんめいに世話をやく。
「そうそう、首のとこなんかも、よく拭きなさい。……いっそ、服なんかひ※[#小書き片仮名ン、235−下−1]脱いでおしまいな」
「それじゃ、裸になってしまいますわ」
「裸になったっていいじゃないか。よその家じゃあるまいし」
 何を思い出したか、急に膝を打って、
「そうそう、まだ、話さなかったね、そら、このお正月。……れいの遺産相続の騒ぎのとき。……あたしゃ、じぶんで玄関にがんばっていて、ひとりずつ新聞屋を追っ払ったんだよ。……もちろん、写真もあれば、居どころも知っているが、新聞などでワイワイ騒がれちゃあの娘の身上に瑕《きず》がつく。そうまでして、お前さんたちに義理だてするいんねんはない※[#小書き片仮名ン、235−下−12]だから、まごまごしないで、とッとと帰っておくれって、ね……」
 そういって、その時のようすが見えるような真剣な顔つきをする。見ていられなくなって、キャラコさんは、思わず眼をつぶった。
(おばさま、ごめんなさい……)
 恥と、すまなさの感情で、もうすこしで、何もかも打ちあけてしまうところだった。
 でも、それでは、悦二郎氏が隠しておきたいことを犠牲にして、自分だけがいい児《こ》になる結果になると思いついて、危ないところで踏み止どまったが、良心のほうは、一向楽にならなかった。それどころか、これで、はっきりと共犯のかたちになり、いっそう、抜きさしのならない羽目に落ち込むことになった。
 キャラコさんは、うんざりする。すっかり参ってしまって、ものをいう元気もなくなった。ぼんやりと、こんなことをいって見る。
「悦二郎さんは、お留守?」
 母堂は、大袈裟にうなずいて、
「ああ、ああ、あれは、相変らずさ。……善福寺《ぜんぷくじ》の池へ珍らしい鳥が来たといって、けさ早くから井荻《いおぎ》へ出かけて行った。正午《ひる》までに帰るといっていたが、どうして、なかなか。……れいの通り、小鳥と遊びはじめて、時間なんて忘れてしまったんだろう」
 思いついたように、

前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング