ェすえられてあって、反《そ》りかえった鍵盤の上に、曇り日の朝日が、ぼんやりした薄い陽だまりをつくっている。
キャラコさんは、踏板《ペダル》を踏んで、そっと鍵盤を押してみた。
オルガンは、ぶう、と気のめいるような陰気なうめき声をあげた。その音は、食堂で酔いつぶれている保羅さんの寝息といっしょになって、なんともいえぬ佗《わ》びしい階音《アルモニイ》をつくる。
キャラコさんは、説明しがたい深い憂愁の情にとらえられた。心は重く沈み、強い孤独の感じが襲いかかった。レエヌさんが、『不幸なあたしたち兄妹』といった言葉の意味が、説明もなしにそのままじかに胸にふれてくる思いだった。
キャラコさんは、やるせなくなって、逃げるようにオルガンのそばを離れて二階へあがって行き、足音を忍ばせながらレエヌさんの部屋へあがり込むと、そっと枕元に坐った。
レエヌさんは、熱が出てきたのらしく、眉の間に竪皺《たてじわ》をよせ、苦しそうにあえぎながら、おぼろな声で囈言《うわごと》をいっていた。
「……お兄さん、……お兄さん、……また、陽が暮れかかってきたわ。……情けないわねえ。……ああ、なんて淋しいんだろう。……胸の空洞《うつろ》の中へ潮がさしてくるような。……闇が魂を包み込んでしまうような、この、淋しい不安な感じ。……子供のときから、いくど悩まされたことだったでしょう。……ねえ、お兄さん、あなたもそうだといいましたね。……なんという、あわれな兄妹……」
キャラコさんは、レエヌさんの手を執《と》って、そっとゆすぶって見た。
「レエヌさん、……レエヌさん……」
レエヌは、ぼんやりと薄目をあけた。すっかり熱にうかされてしまって、譫妄《せんもう》状態に近いようなようすになり、空《うつろ》な視線をあてどもなく漂わせながら、のろのろした声で、切れぎれにつぶやきつづけるのだった。
「……それでも、ママが生きているうちは、まだしも生き甲斐があったわ。……学校の制服を脱ぎ捨てると、車座《くるまざ》になった潮くさい基督《エス》どもの盃に威勢よくウイスキーを注いで廻る。……あなたは、できたての自作の舞踏曲《ブウレ》を、酒場のぼろピアノが軋《きし》むほどに熱い息吹きで奏きたてる。……ミューズもアポロも大喝采《だいかっさい》。……プレジデント・フーヴアの楽長《シェフ・ドルケストル》が、あっけにとられて、盃《ヴエール
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