キャラコさん
鴎
久生十蘭
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)海風《うみかぜ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)日本|心酔《しんすい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「くさかんむり/協のつくり」、第4水準2−86−11]
−−
一
「兄さん、あたしは、困ったことになりはしないかと思うんですがね。ピエールは、きのうも、あのお嬢さんと二人っきりで話していましたよ」
海風《うみかぜ》でしめった甲板の上を大股で歩きながら、エステル夫人が、男のようなしっかりした声で、こういう。薄い靄《もや》のなかで、朝日がのぼりかけようとしている。
「あたしも、あのお嬢さんのいいところは認めます。でも、あなたのこういうやり方には、あまり賛成できませんね。……これじゃ、まるで、騒ぎの起きるのを待ってるようなもんだ」
アマンドさんが、厚い首巻きのおくで、はっきりしない声をだす。
「それは、いったい、どういう意味だね」
船尾までゆきつく。
そこで、くるりと廻れ右をして、白髪頭《しらがあたま》を二つ並べながら、また戻って来る。
「ピエールが、あのお嬢さんを好きになったらどうします」
「ありそうなこったね。……白状するが、わしもあのお嬢さんがだいすきだ」
「そんなことは、聞かなくってもわかっています。あなたの日本|心酔《しんすい》は並大抵じゃないんだから。……しかし、それは、あなたの趣味だけのことでしょう。ともかく、そんなことのために、不幸な人間をひとりこしらえあげることは、あたしは反対です」
アマンドさんが、びっくりしたように立ちどまる。
「だれが、不幸になるというんだね」
「いわなくてもわかっているでしょう。レエヌです。……なるほどレエヌにはすこし気ままなところがありますが、それはそれとして、むかしならいざ知らず、今じゃ、あんなやくざな兄しかいない日本なんかで、ピエールにすてられでもしたら、あの娘は、いったいぜんたいどんなことになると思うんです」
「ピエールが、そんなことをいったのか」
「いいえ。……でも、ピエールがいまなにを考えているか、あたしにはよくわかっています。……あのお嬢さんを見る眼つきをごらんなさい」
次へ
全37ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング