アマンドさんが、クスクス笑いだす。
「お前の苦労性には、いつもながら驚嘆させられるよ。……これはともかく、そんなことなら、心配しなくてもいい。……あのお嬢さんは、レエヌからピエールをとりあげるようなことはしないから」
「どうして、そんなことがわかるの」
 アマンドさんは、ピクンと肩をすくめる。
「あのお嬢さんは、かくべつピエールなんか好いていないからだ」
「そんなこと、わかったもんじゃない」
 エステル夫人は、踵《かかと》で甲板をコツンと踏む。
「これだけいってもわからないなら、もう議論はよしましょう。……とにかく、あたしはそんな騒ぎを見るのはいやだから、横浜へ着いたら快遊船《ヨット》を降りて、ひとりでカナダへ帰ります。……あとは、あなたがいいようになさい。あたしは、知らないから」
「したいようにするがいいさ」
「最後に、はっきりいって置きますがね、あたしはあくまでもレエヌの味方ですよ。そう思っていてください」
「わかった、わかった」
 エステル夫人は、アマンドさんの顔をマジマジとながめながら、
「どうしてあんな娘がそんなに気にいったの。なんだか、固苦しい、いやなところがあるじゃありませんか」
「お前には、それくらいにしかわからないか」
「ええ、わかりませんね。……それに、あまり貧乏すぎる」
「また、違った。……ひょっとすると、あのお嬢さんは、われわれよりも金持ちなんだぞ」

     二
 キャラコさんは、船室の中で眼をさます。
 窓掛けが、頭の上で蝶がたわむれるようにゆれている。船窓からくる朝の光が、丸い棒のようになって横倒しにノルマンディーふうの小箪笥《コンモード》のうえに落ちかかり、手のこんだ側板《わきいた》の彫刻を明るく浮きあげる。
 部屋の隅のほうに、天鵞絨《びろうど》の長椅子としゃれた小床几《ダブウレエ》がどっかりと置かれ、反対の側には、三面鏡のついた、世にもみごとな化粧台があって、香水ふきや白粉いれがピカピカ光りながらキャラコさんに微笑《ほほえ》みかける。
 長絨氈《ペルシュマン》はうすい空色で、明るい楓材《かえでざい》を張りつめたこの船室にたいへんよく調和する。半開きになった扉《ドア》の隙間から、まぶしいほど白い浴槽と、銀色のシャワーの管《くだ》が見える。
 キャラコさんは、枕の上で顔をまわしながら、ぜいたくな寝室の風景をゆっくりと楽しむ。薄紗
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