スら、あなたのご親族も世間も、正式に結婚することを望むでしょう。いわんや、物固い長六閣下におかれては、なんであろうと、うやむやにすますようなことには賛成なさらないでしょう」
キャラコさんは、きゅっと口を結んで相手をみつめてから、ゆっくりと、笑いだす。
「おやおや、希望しないのはあたしだけですか」
保羅は、そっぽを向きながら、
「キャラコさん、僕は新聞社へちょっとした原稿を送ってあります。それにはね、二人が駈け落ちするまでのいっさいのいきさつと心境が、筆記体でくわしく書いてあるんです」
「なるほど、たいしたもんね。……それで?」
「二人が潜伏している場所は、だいたいこのへんと臭《にお》わしてありますから、感のいい新聞記者なら二三日中に嗅ぎつけてここへやって来るでしょう。……僕とあなたは、こんな一軒家で発見される。当然、もう秘密の結婚をしていると思うでしょうからね」
「だれが、それを証明するの? あたしですか? それとも、保羅さん、あなたですか?」
レエヌが、甲高い声で、叫んだ。
「証人は、あたしよ。あなたと兄は、この春から秘密に結婚していたことを、婦人雑誌向きにちゃんと小説体で書いてあるの。……さっきの手紙よりも委曲《いきょく》をつくしているつもりよ」
枕の下から一通の角封筒をとりだすと、それを頭の上に振って見せた。
「ほら、ほら、これが、そうなの」
キャラコさんの肚《はら》の底から、生理的不快に似たものがこみあげて来た。
レエヌは、調子をはずした陽気な声で、
「……あたし、むかしからあなたを嫌いだったのよ。どこもここも模範だらけのあなたが憎らしくてしようがなかったの。いつか、やっつけてやろうと思って隙をねらっていたんだ。……ねえ、キャラコさん、あなたのように、お腹《なか》の中にいるときから、幸福《しあわせ》づくめのひともあるし、あたしたちのように、泥の中をはいずり廻っているような、こんなみじめな兄妹もあります。それに、こんどは、たいへんな財産を相続なすったそうで、お目出とう。……どこまでうまくゆくか知れないわね。……それで、すこしお裾《すそ》わけしていただこうと思って考え出したことなの。……あたしたちのような憐《あわ》れな兄妹の思いつきそうなことでしょう」
キャラコさんが、しずかに訊《き》きかえした。
「もし、あたしが、いやだといったら?」
レエヌは
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