・ランプがチロチロと紫色の炎をあげている。
盆のはしのところに朝顔の花が一輪。その下に名刺がある。ひらがなで、「おねぼうさん」と、書いてある。アマンドさんの息子のピエールさんのいたずらだ。
ピエールさんはコロンビアの大学のヒュウ・ボートン先生の日本の講座に出ていて、ひらがなを書けるのが自慢なのである。
キャラコさんは、このくらいのことでは動じない。ゆっくりとお膳の上の景色を観賞してから、順々に片づけはじめる。
快遊船《ヨット》に乗ってから、自分でもびっくりするほどたくさんたべる。運動のせいばかりではあるまい、たしかにご馳走もおいしいようである。
寝台の頭の上で蝉鳴器《ブザ》が、ブウと鳴る。
クレエムを喰べながら、あいた片手でスイッチをあけると、きれいな澄んだ声が、小さな拡声器から流れ出してくる。イヴォンヌさんだ。
「キャラコさん、もう、おめざめ?」
「ええ、おめざめよ。いま、クレエム・フレェシュを片づけているところ。……ほら、きこえるでしょう。ピシャ、ピシャって……」
「ええ、きこえるわ。あまり、お上品な音じゃありませんわね。……それはそうと、あたし重大なご相談があるのよ」
「あなたの重大には、もう驚くもんですか」
「ほんとうなのよ。とても重大なことなの。これから、すぐおうかがいしていい?」
「ええ、お待ちしててよ」
キャラコさんをアマンド氏の快遊船《ヨット》へひっぱって来たのはイヴォンヌさんである。
アマンドさんは非常な日本びいきで、趣味というよりは心酔《しんすい》というのに近いふうだった。
ヴァンクゥヴァの自分の家の庭に日本ふうの四阿《あずまや》をつくり、家じゅうを日本に関する書籍と骨董《こっとう》でいっぱいにして、たいていは日本の着物を着て暮らしている。
こんど日本へ遊びに来たのをさいわい、日本の近海に滞在するあいだ、ほんとうの意味の日本的なお嬢さんをひとり、ぜひ快遊船《ヨット》にご招待したいものだという希望をイヴォンヌさんのお父さんの山田氏にもらした。
山田氏やイヴォンヌさんが推薦するとなれば、それはもうキャラコさんにきまっている。
イヴォンヌさんが、のんきな顔で勧誘にやってきた。
「キャラコさん、十日ばかし快遊船《ヨット》のお客にいらっしゃらないこと? きっと、おもしろいことがあってよ。向うへは、もう行くことに返事してあるの。いら
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