った。
 けたたましいレエヌさんの叫び声をききつけて、何が起こったのかと思って、イヴォンヌさんやエステル夫人やベットオさんが、寝衣《ねまき》のままで甲板へ飛び出して来たが、人がちがったようなキャラコさんのきびしいようすにけおされて、そばへ寄ることもできない。船室《サルーン》の入口のところにかたまって手をたばねて傍観するほかはなかった。
 それから、五分ほどしてから、アマンドさんが甲板へあがってきた。
 ピエールさんからあらましのことを聞くと、大股にレエヌさんのそばまで歩いて行って、いつに変わらぬ寛容な声で、
「レエヌ、お前のほうが悪いのだからあやまりなさい。……キャラコさんは、たったひとことでいいといってるじゃないか」
 レエヌさんは、踊りでも踊っているかと思われるような調子はずれなはげしい身振りで、地団駄を踏みながら、
「だれが、だれが、だれが! だれがあやまってなんかやるもんか! 死んだってあやまらない! ……あたしは、子供のときから、こんなふうにばかりして生きて来たんです! ……どうせあたしは黄白混血児《ユウラジアン》さ! どっちみち、どちらの側からも好かれやしない。おとなしくなんかしていることはいらないんだ! ……なまじっか、普通のお嬢さんのように、幸福《しあわせ》になんかなろうと思ったばかりに、身につかない夜会服《ソアレ》なんかでしめつけられて、それこそ息のつまるような思いをしたよ。……ヘッ、有難かったね。……ナヨナヨと扇をつかいながら、|Bonjour Monsieur《ボンジュール・ムッシュウ》 か。……なんというお笑いぐさだ。……ああ、もうたくさん! そんな茶番《ちゃばん》はあたしの性に合わないの。……あたしは、あす、快遊船《ヨット》を降りて、淫売婦《いんばいふ》にでもなっちまう。そのほうが、結局、人間らしい生活というもんだわ」
 自分でも手に負えなくなった憤怒の情を、だれかに移してやろうというふうに、火のついたような殺気だった眼つきでまわりの一人一人をにらみ廻していたが、ピエールさんの顔の上へ眼をすえると、ツカツカとそのほうへ歩いて行って、
「ねえ、ピエールさん、あたしがこんな暴《あば》れかたをしたって、嫉妬《ジャルウ》だなんて思ってもらっては困るぜ。そんなんじゃないんだ。お前のことなんぞ、馬の尻尾だとも思っちゃいないんだ。……憎いのは、キャラコさ
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