なっている。……いったい、何があんなにレエヌをいら立たせるのか、どうしても理解することができないのです。……おやおや、これぁどうも、ひどく、述懐めいて来ましたね。しかし半分は、今夜、レエヌがあなたにした無礼な仕打ちのお詫びのためでもあるのです。まあ、そのつもりで聞いていらしてください」
「あたしのためならそんなお心づかいはいりませんわ。たしかに、あたしの出しゃばりだっていけなかったのですから」
 ピエールさんは、これ以上、廻りっくどいことはいっていられないというように、急に、激した口調になって、
「ねえ、キャラコさん、いったい、なにがレエヌをあんなに自棄的にさせるのでしょう。何かお気づきになったことでもおありですか」
 キャラコさんは、当惑を感じながら、言葉すくなに、こたえた。
「あたしには、むずかしすぎる問題ですわ」
 ピエールさんは、すぐ気がついて、
「ごめんなさい。あなたを困らせるつもりではなかったのです。……それにしても、レエヌは、むかしからあんなふうだったのですか。あんなふうに虚無的《ニヒリテック》な……」
「いえ、そうは思いませんわ。うちとけないところはたしかにありましたけど、そのために、友達を怒らせるようなことはありませんでした」
 ピエールさんは、ちょっとの間沈黙していたが、だしぬけに口をきって、
「レエヌが、横浜の海岸通りで、母と兄と三人で小さな酒場《バア》をやっていたことをご存知ですか」
「ええ、うすうす」
「たぶん、それが原因なのでしょう。……そういう事実が、われわれの耳へ届いたのは、つい二年前のことですが、父にすれば、何といったって弟の子供ですから、そんなふうに放って置くわけには行かないので、人をやって無理にレエヌをカナダへ引きとったのです。兄の保羅《ぽうる》のほうは、母親をひとり残して置けないといって、どうしても日本を離れませんでした」
「それで、レエヌさんのお母さまはどうなすったの」
「間もなく病気で亡くなりました」
「レエヌさんは、孤児《ひとり》になってしまったわけね」
「しかし、そのかわり、カナダへ国籍が移されて、叔父や叔母や養父や義妹や、……それから、許婚者《フィアンセ》までできたのです。しいていえば、礼儀正しい、清潔な環境と、どんなにぜいたくをしてもいいほどの財産とね。あのまま日本にいたら、レエヌはもっと不幸になっていたでしょう」
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