も軍人らしいいかついところがないので、キャラコさんは、この優雅《エレガント》な盲目の青年が名誉ある傷痍兵士だとは、まるっきり気がつかなかった。
 そういえば、なるほど顔色は陽にやけて黒く、歩きぶりにもどこか軍隊式なところが残っている。肩も腰も頑丈で、この肉体がどんな刻苦《こっく》に耐えて来たか充分に察しられるが、全体の感じはどことなく弱々しく、挙動もたいへんに神経質だった。
 黒い大きな眼鏡で顔が半分以上隠されているが、鼻も口もきりっとしまっていて、学者とでもいったような、奥深い、理智的な印象を与えるのに、声は低く細く、いつもふるえるような調子をおびていた。極めて理性的なものと、極めて感情的なものと、まるっきり矛盾した二つの性格がひとつの肉体の中におさまっているような感じだった。
 佐伯氏の兄妹は五日ほど前の夕方ここへやってきた。宿のひとのはなしでは、佐伯氏はここへ点字の勉強に来たのだそうだった。まだ春が浅く、それにこんな淋しいところなので湯治《とうじ》の客もすくなく、静かに勉強するにはうってつけの場所だった。
 佐伯氏は、茜《あかね》さんという、すごいような端麗《たんれい》な顔をした
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