どをもらわなければ、こんなところで肩身を狭くしていることもいらないし、世間へ金の使いみちを探しに出かけることもいらない。そう思うと、キャラコさんは、なんだか山本氏がうらめしくなってきた。
 キャラコさんは、いつまでたってもうごかない浮木《うき》をながめながら、ぼんやりと考えしずんでいたが、ちいさなためいきをつくと、蘆《あし》を一本折り取って、それを鞭のように振りながら、湖尻《こじり》の疏水《そすい》のほうへ歩き出した。……今日こそ佐伯氏に例の話を切りだしてみようと思いながら。

     二
 佐伯氏は南京《ナンキン》の戦争で失明した名誉ある傷痍《しょうい》軍人である。
 傷痍軍人といっても、衛戍《えいじゅ》病院にいるのではないから、あの白い病衣を着ているわけではない。背に帯のついたスマートな大外套《ガーズ・コート》を着て、アッシュのステッキをついて歩いている。
 顎《あご》はいつもきれいに剃ってあるし、髪にはキチンと櫛目《くしめ》がはいっている。散歩に出ると、野の花を襟《えり》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》したりして帰ってくる。どこに
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