に、そんなことまでする気にはなれませんでしたが、茜が泣いて説得するので、死んだ気になって承知しました。……そうさえすれば、二人とも、長い貧乏の中から浮びあがれるのですから。……ところが、それもいつまでもつづきませんでした。茜はたった二年で捨てられてしまい、そのあげく、こんどは私を解雇するといい出しました。……私は、貧乏だというだけの理由で、長い間、底知れぬ悪意や不親切や迫害に駆りたてられて、すっかりひねくれてしまい、人生とは、いつか復讐してやる値打のあるものだといつもそう考えていましたので、課長のひどい仕打ちにしかえしをするために、その日、支店へ送るはずの三万円の現金を持ち出してやりました。せめて、それくらいのことをしてやらなければ息がつまりそうだったのです。……それから不埓《ふらち》にも傷痍《しょうい》軍人になりすまして、茜と二人でほうぼう逃げ廻りました。やって見ると、思いがけなく困難な仕事でしたが、私たちは元気をなくしませんでした。自分のしたことが悪い事だとはどうしても考えられなかったからです。……愚かな話ですが、ざまア見ろとさえ思っていました。そんなにも、心がねじけていたのです」
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