は、微笑しながらこたえた。
「あたしにお詫《わ》びになることなんかいりませんけど、それで気がすむのでしたら、どうぞ、なさりたいようになすって、ちょうだい」
佐伯氏は、湖尻《こじり》の汽船発着所のほうへチラと眼を走らせてから、
「私は、今あなたが乗っていらしたモーター・ボートで箱根町へ行って自首するつもりなのですから、どっちみち、そんなに長い間お話はできないのです。……もう、時間もありませんから簡単にお話しますが、私も茜も、子供のときから、屈辱や不安や空腹などの鋭い切っ尖《さき》に絶間なくおびやかされて来た身の上だったのです。……ようやくの思いで小さな実業学校を出て、長い間就職口を探していますと、ある銀行の課長が私を使ってやってもいいというのです。ただし交換条件がある。……就職させてやるかわりに、茜と秘密の結婚をさせろというのです」
キャラコさんは、思わず眼を閉じた。キャラコさんのような人生の経験の浅いものにも、それからどんな悲劇が起きたのか、これだけ聞くともうなにもかもわかるような気がした。
佐伯氏は、眼に見えぬほど顔を赤らめて、
「……どれほど卑屈になじんでいたとはいえ、さすが
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