。
木笛《フリュート》は蘆の中に置いてあるが、佐伯氏の姿は見えない。四時ごろまで待っていたがやって来ない。もしや水ぎわにでもいるのかとそのほうを見廻したが、渚《なぎさ》には人の影らしいものもなかった。
キャラコさんは手帳の紙に、
佐伯さま。明後日《あさって》のあさ、ここへ、ヘルムショルツ先生の高弟が来ます。どうぞ、あなたの眼をふたつ貸してちょうだい。
と、走り書きをし、それを電報用紙の中へ細長くたたみ込み、その表に、(茜《あかね》さま、これを読んでさしあげてくださいませ)と、書いて、それを木笛《フリュート》に結びつけた。
それから、三十分ほどすると、疏水《そすい》の向う側から佐伯氏がやって来た。
木笛《フリュート》のあるあたりに顔を向けて、ぼんやりと立っていたが、ツと手を伸ばして手紙をほどきとるとむこうを向いて、立ったままでそれを読み出した。
しばらくののち、手紙を持った手がだらりと下へ垂れる。それから、左手をいそいで眼のほうへ持って行った。
佐伯氏は、こちらへ背中を向けたままいつまでも立っている。佐伯氏の手の中で、キャラコさんの手紙がヒラヒラと風にひるがえってい
前へ
次へ
全48ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング