してはいけないと思っただけなの。……お差しつかえなかったらここへ坐ってよ」
へどもどしながらそばへ並んで坐ると、佐伯氏は頬骨《ほおぼね》の上のところをすこしあからめながら、
「きのうはずいぶん失礼なことを申しました。どうか、ゆるしてください。疲れてイライラしていたせいなんです。……おわかりになりますまいが、こんな不自由な身体で長い旅行をすると、思うようにゆかないことが多くて、ついいら立ってしまうのです」
「どんなにかご不自由なことでしょうね、お察ししますわ」
「有難う。……感のわるいところへ持ってきて、すこしわがままなもんだから、なんでもないことにすぐ腹を立ててしまうのです。結局、自分の損なんだけど……」
「まだお馴れならないせいもあるでしょうし……」
「そうですよ、なにしろ、俄かめくら[#「めくら」に傍点]でね」
「そんな意味でいったのではありませんわ」
「気になさらないでください。どうしてでしょうかね、つい、こんな口調になってしまうのです。……眼が見えなくなったという事実にたいしては、すこしも遺憾はないのですが、日常の直接なことにあまり不便が多すぎるので、じぶんで始末がつかなくな
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