「あたし、ひとり」
 佐伯氏は、驚いたように、ほう、といって、
「どこかお悪いの?」
 キャラコさんが、すこし、あかい顔をする。
「いいえ、ただ、こんなふうにしていますの。……妙でしょう。あたしも、妙でしょうがないのよ。あたしのような若い娘が、たったひとりでこんなところにブラブラしているなんて、あまりほめた話でありませんけど、すこしわけがあって、もうすこしの間こんなことをしていなくてはならないの。でも、そのわけは申しあげられませんわ」
 佐伯氏が、つぶやくような声でいった。
「だれにだって、事情はあるもんだから……」
「でもね、あたし、悪い人間でないことだけはたしかよ」
 キャラコさんがそういうと、佐伯氏は、低い声で笑いだした。
「誰がそんなふうに思うもんですか。それどころか、あなたのような親切なお嬢さんに逢ったのははじめてです」
「おや、どうしてでしょう」
「いえ、ちゃんと知ってますよ。……私があんなひどいことをいったのに、それにもかかわらず、あなたは心配して、とうとう宿の入口まで送ってくださいましたね。……ほんとうに、有難かった。……言葉では、ちょっといい現わしきれないほどです」
 キャラコさんが、やさしく抗議した。
「あんなのが親切というのでしょうか。あなたをうるさがらせただけですわ。あたし、差し出がましいまねをしたばかりに、あんなにあなたをいら立たせてしまって申し訳ないと思っていましたの。あたし、出しゃばりで、ほんとうにいけないのよ」
「親切だといっていけなければ、たいへんに心の深いお嬢さんだと申しあげましょう。……あなたは私の歩く道の石ころをみなとり除《の》けてくださいましたね。ちゃんと知ってます」
 キャラコさんは、閉口して黙り込んでしまった。
「……それから、二股《ふたまた》道のかどの木の枝に、石を入れた空鑵《あきかん》をつるして、風が吹くとカラカラ鳴るようにして置いてくだすった」
「…………」
「私は、その音をたよりに、迷わずに湖水のほうへ出てゆけるのです。帰るときも、またその通り、わき道へはいり込まずにすみます」
 佐伯氏は、深い感動のこもった声で、
「……昨日まであんなものはありませんでした。……お嬢さん、あなたがしてくだすったのですね」
 佐伯氏の口調が、あまり切実なので、キャラコさんは度を失って、思わずうつ向いてしまった。
「あなたが、し
前へ 次へ
全24ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング