これを最も有意義にお使いくださるであろうと思われる人格《ひと》に御相続願うことにしました」
 山本氏が、こういった時の、一座の恐慌といったらなかった。
 越智氏は気が遠くなるような眼つきをし、葦《あし》君はその細い長い脚をブルブルと震わせた。
 山本氏はそんなことには頓着なく、ほのかな口調で、
「私は十六の年にアメリカへ渡り、あらゆる職業に従って黒人《ニグロ》のように働きつづけましたが、どんな仕事にも成功しませんでした。……しかし、その後、ある奇縁によって発奮し、カルフォルニアで香水原料の花卉《かき》栽培に従事し、飽き飽きするほどの財産をつくりました。……私の今日《こんにち》をなさしめた奇縁というのはどのようなものだったかと申しますと、私が失意落胆してサンタ・フェの田舎を放浪していますとき、私に貯金の二十|弗《ドル》をめぐみ、『冬の円居《まどい》』という日本の小学唱歌を唄って元気をつけてくれた、十九歳の日本の一少女の親切だったのです」
 山本氏は、感慨を催したらしく、ちょっと沈黙したのち、
「……私が多少の成功をいたしました時、早速、サンタ・フェにまいりまして、その少女をたずねましたが
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