かが絶叫する。ほとんど泣いているような声だった。
「元気をだしてくれえ」
 キャラコさんは、大声で声援しようと思うのだが、なにか咽喉につまってどうしても声が出なかった。
 永久無限とも思われる長い時間だった。
『恋人』は、ようやくあと十間ほどのところへ迫ってゆきつつあった。
「早く、早く!」
 キャラコさんは夢中になってあしずりした。こんな辛い思いをするのは生まれてからこれが初めてだった。
 ワニ君が躍り上って叫んだ。
「つかまえたア!」
 越智氏が、金切り声を上げた。
「マキちゃんが、水の上へ頭を出した。……大丈夫! まだ生きてる!」
 ようやく、この時になって岬の鼻から漁船が漕ぎ出してきた。しかし、漁船と二人の間は十四、五町もへだたっている。
『恋人』は、槇子を水の上へ押しあげながらいっしんに泳いでいるが、もう力がつきはてたらしく、時々波のしたへ、がぶっと沈んでしまう。
 望遠鏡を持ってキャラコさんのうしろに立っていた山田氏が、身もだえしながら叫んだ。
「いま船が行かなければ、沈んでしまう」
 漁船は、見るも歯痒《はがゆ》いような船足でのろのろと近づいてゆく。
『恋人』の姿は、やや
前へ 次へ
全61ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング