かが絶叫する。ほとんど泣いているような声だった。
「元気をだしてくれえ」
キャラコさんは、大声で声援しようと思うのだが、なにか咽喉につまってどうしても声が出なかった。
永久無限とも思われる長い時間だった。
『恋人』は、ようやくあと十間ほどのところへ迫ってゆきつつあった。
「早く、早く!」
キャラコさんは夢中になってあしずりした。こんな辛い思いをするのは生まれてからこれが初めてだった。
ワニ君が躍り上って叫んだ。
「つかまえたア!」
越智氏が、金切り声を上げた。
「マキちゃんが、水の上へ頭を出した。……大丈夫! まだ生きてる!」
ようやく、この時になって岬の鼻から漁船が漕ぎ出してきた。しかし、漁船と二人の間は十四、五町もへだたっている。
『恋人』は、槇子を水の上へ押しあげながらいっしんに泳いでいるが、もう力がつきはてたらしく、時々波のしたへ、がぶっと沈んでしまう。
望遠鏡を持ってキャラコさんのうしろに立っていた山田氏が、身もだえしながら叫んだ。
「いま船が行かなければ、沈んでしまう」
漁船は、見るも歯痒《はがゆ》いような船足でのろのろと近づいてゆく。
『恋人』の姿は、やや
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