ダーン・タイプはきらいです。……もしか、あなたは、小学唱歌の『冬の円居《まどい》』というのをご存じでしょうか」
 長六閣下が知っている唱歌というのは『冬の円居』と『黄海の海戦』の二つだけなので、キャラコさんは子守唄のかわりに『冬の円居』を聴いて育ったようなものだった。
「ええ、知っていますわ」
『恋人』は眼を輝かせて、
「やっぱり!……あなたなら、きっと知っていらっしゃるだろうと思った。……では、どうぞ唄ってきかせてください」
 キャラコさんは『恋人』の手をひいてピアノのそばへすわらせ、自分が伴奏を弾きながら美しい声で『冬の円居』を唄いだした。
『恋人』は両手で顔をおおって熱心にきいていたが、キャラコさんが唄い終ると、顔をあげて低い声でつぶやいた。
「なつかしい唄だ!」
 しなびた頬に血の色がさし、青年のような生き生きとした顔つきになっていた。『恋人』は、丁寧に頭をさげて、
「これで満足です。どうも、ありがとう。……もうご勉強のお邪魔をいたしますまい。……それはそうと、あなたはまだずっとこのホテルにおいでですか」
 キャラコさんは、あわてて首をふる。
「いいえ、もう四五日で帰ります。…
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