、笑った。
 男のファッション・モデルがあるなら、そのほうへ向けてやりたい。あっと息をのむような、すごい服を着ているが、子供に水ましして、無理におとなにしたような、おかしなところがあった。
「もう東京へ帰るんでしょうが、帰ったら、山岸さんのお宅へ伺いなさい。ご両親も、望んでいらっしゃるよ」
「あのひと、子供が口髭をはやしてるみたいな、へんな感じ」
 叔母が、怒りだした。
「あなたのほうは、おとなが子供に化けているみたい……その髪は、なによ、馬の尻尾みたいなものをブラさげて……四角な額を丸出しにして……あなたのコンタンは、子供っぽく見せかけて、相手の油断につけこもうというんだ。二十四にもなっているんだから、悪趣味なことはやめて、年だけのナリをなさい」
「お望みでしたら、さっそく、いたします」
「髪だけのことじゃないのよ。あなたの着ている袋みたいなものは、なに? チャンとした服、ないの? あるなら着てごらん、見てあげる」
 サト子は、念をおした。
「髪型を変えて、お着換えするのね……一着で、よろしいの?」
「出し惜しみすることはない。あなたが百着もドレスをもっているとは、思っていませんよ」
「じゃ、ここへ電蓄を運ばせましょう……お気になさらないで、音楽はサービスですから」
 サト子は、こけしちゃんに言って、座敷に電蓄を運ばせた。あたしが広縁のむこうの端へ出てきたら、重ねてある通りにレコードをかけるようにいいつけ、したくをしに、じぶんの部屋へ行った。
 なぜか、泣きたい、サト子は、うつ伏せになって、畳のうえに長く寝た。十分ほど、そんなことをしていたが、バカみたいな顔で起きあがって、鏡の前へ行った。
 馬の尻尾をとき、クリップとピンで、得体のしれないかっこうに髪をまとめあげると、ウールのワン・ピースに着換え、玄関の脇間から広縁へ出た。
「ホフマンの舟唄《ふなうた》」……サト子はリズムに乗ってステップしながら、叔母のいるほうへ歩いて行った。
 ひと回りして、ドレスのうしろを、それから、ゆっくりと腕をあげて、脇の線をみせた。
「髪はいいけど、そのドレス、すこし暗ぼったい感じね……ほかのは、ないの」
「では、これでワン・ステージ、終らせていただきます。つづいて、二着目を……」
 楽屋へ戻って、日繊の「歩きかたコンテスト」で賞品にもらった、すごいカクテル・ドレスに換えた。
「柳は泣いている」のブルース……ステージに上るなり、むこうから声がかかった。
「それは、だめ。それじゃ気ちがいだ。前のウールのを、もういちど着てごらん」
「これで三着になります」
 前のウールに着換え、こんどは「テネシー・ワルツ」でやる。
「それにきめよう。山岸さんへ伺うときは、そのドレスになさい。髪も、それで」
 叔母は、女中にいって手提をもってこさせた。
「モデルさん、おいくら?」
「基本料、八百円、着換えが二百円ずつ二回で、四百円……髪型を変えた分が、二百円……千四百円になります」
 叔母が、皮肉な調子でたずねた。
「山岸さんへ出張する分は?」
「出張手当とも、千円にしておきます」
 叔母は、札をかぞえてサト子に渡した。
「あなた、もう東京へ帰る? ブラブラしても、いられないわね。山岸さんへ、近くお伺いするとお伝えしておいて」

  職場

 おだやかな日和《ひより》がつづき、観光季節がはじまりかけている。鎌倉八幡宮の若宮の鳥居から社頭までの、浅間《あさま》な杉並木の参道を、日焼けした地方の顔や、観光船で横浜に着いたばかりという白っぽい顔が、カメラをさげてゾロゾロ歩いている。
 社殿の丹《に》の色と銀杏《いちょう》の葉の黄が、やわらかさをました日ざしのなかで、くっきりと浮きあげになっている。
 秋だ。けさ着換えたウールの地が、しみじみするほど、よく膚につく。
 サト子は、穿きかえの靴や、アクセサリーや、そういう小道具を入れた、モデルの仲間が化粧箱といっている大きな太鼓型のケースをさげ、参道の左手の低い石門を入ると、池のみぎわから建物の横手をまわって、入場券の売場へ行った。
 近代美術館では、この月のはじめから古陶磁の展覧会をやっているが、それを見るためではない。化粧箱を預けたり、トイレットを借りたり、ティ・ルームでお茶を飲んだり……あっさりいえば、職場の休憩室といったぐあいに利用している。そういう用を便じるために、入場券だけは買う。
 金網の間を通って、下足の預り所へ行く。預り所のおばさんが、化粧箱を受取りながら、お愛想をいってくれる。
「髪も、服も、変って、どこかの若奥さまみたい……さすがに、器用なもんだわ」
「これが、年相応というところなの……お世話になりましたわね。ここのアルバイトも、きょうでおしまい。そろそろ、東京の仕事がはじまりますから……」
 最初の日、サト子は、参道をブラブラしながら、外国人の観光客のカメラの使いかたを観察し、風景だけの風景よりも、日本人のはいった風景のほうを好むということを発見した。
 おなじ観光都市の鳥羽《とば》では、点景になる海女《あま》のモデル料は、五百円だと聞いている。サト子は、わが身の貫禄を考えあわせて、一時間、三百円ときめた。
 カメラを持ったお上りさんの青年たちは、モデルをつかって写真を撮《と》っている外国人を、ふしぎそうに見ているが、まもなく了解して、じぶんたちもやりだす。
 どんな仕事にもコツがあるように、このアルバイトにもコツがある。お嬢さんのような顔ですましていては、たれも寄りつかない。
 客引と、モデルのふた役という厚顔《あつかま》しいことを、勇気をだしてやってのけなくてはならない。
「神池の背景で、一枚、お撮りになりません?」
 反り橋の袂《たもと》と神楽殿《かぐらでん》の前で、思わせぶりなポーズをしながら行きつ戻りつしていたが、三時近くまで、いちども声がかからない。ポーズをして、立ってさえいれば、察しのいい白っぽい顔のひとたちが、
「おねがい、できますか」
 と相手になってくれるのだが、きょうのカモどもは、そばまできてサト子の顔をみると、そのまま、すうっとむこうへ泳いで行ってしまう。これでも困ると思うのだが、なぜか、
「お撮りに、なりません?」
 と誘いかける気になれない。
 あの青年を殺したのは、お前なんだぞ……耳のそばで、そういう声がきこえる。死体があがらないといった、けさのひと言が重石《おもし》になり、そうして立っていても、ぼんやりと青年の追憶にふけっている瞬間がある。
 きょうの顔は、アルバイトに適さないのだとみえる。愁《うれ》いの出た顔など、観光地の点景モデルには、およそ不向きな顔だ。
「髪型のせいも、あるんだわ」
 きのうまでは、頭のうしろに馬の尻尾《しっぽ》のようなものをブラさげ、十六七の娘のような見せかけをしていたので、相手のツケこむすきがあったが、おとなの髪型になり、暗ぼったいウールのアプレミディなどを着こんでいるので、良家の若奥さまが、人目を忍ぶ「待合せ」でもしているのだと思うらしく、良識のあるカモどもは、見ないようにして行ってしまうのらしい。
「いよう」
 と声がかかった。
 あの日、サト子と言いあいをした、若いほうの警官だった。
 東京都では許可をとっているが、神奈川県はどうなっているのか? 無許可営業で叱られるのかもしれない。
 サト子は、した手に出た。
「このあいだは、たいへんでしたね」
「新聞を見なかったかい? 空巣は、きのうの夕方、つかまったよ……野郎、また、あの辺の家へ入りやがったんだが、それが運のつきさ」
「空巣って、どの空巣?」
「春から、あのへんを荒していたやつだ」
「このあいだのひとじゃなかったのね」
「ホンモノのほうだ」
 中村も述懐していたが、あの青年は、やはり空巣ではなかったらしい。気持はいよいよ萎《しお》れてきて、こんなところに立っている気にもなれない。美術館のティ・ルームで息をつこうと、ひかれるようにそちらへ歩きだした。
「おい、君、君……」
 警官があとを追ってきた。
「どこへ行く?」
 どこまででもついてきそうなので、気味が悪くなって、サト子は池のみぎわで足をとめた。
 届出をしなかったのは手落ちだが、観光地の点景モデルといっても、アルバイトにすぎない。話せばわかる。
「美術館のティ・ルームで、お茶を飲もうと思って……ごいっしょに、といいたいところだけど、お誘いしちゃ悪いわね」
「美術館のティ・ルームだァ? ショバが広くて結構だよ……飯島あたりに巣をつくっているが、君は百合《ゆり》のひとなんだろう?」
 経験と技量によって、ファッション・モデルは、やさしい花の名で四つのクラスに分けられている。一流クラスは蝶蘭《ちょうらん》、二流クラスはガルディニア、三流クラスは菫《すみれ》、それ以下は百合……
 サト子は三流クラス以下だから、百合組といわれることには異存はない。
「ええ、百合組よ、新人ですの」
「百合組のひとなら、ラインだけは守ってもらいたいね」
「ラインって、なんのことでしょう?」
「ラインといっても、いろいろだ。マッカーサー・ライン、李《り》ライン、赤線に青線……市には市警の面子《メンツ》というものがある。こんなところで、大きな顔でショバをとられちゃ、見すごしにしているわけには、いかんからね」
 警官は、参道でウロウロしているショウバイニンの女たちのほうを顎でしゃくった。
「あいつらにも、言っておいたが、つぎの下りで、いっしょに横須賀へ帰れよ」
 横須賀に、『白百合』というショウバイニンの団体があるそうだ。それとまちがえられているらしい。ユーウツだが、腹をたてるわけにもいかない。五日のあいだ、ここで客引とモデルの二役をやっていたことを思えば、どう弁解しても、誤解をとく方法はなさそうだ。
 無言のまま、歩きだす。警官は美術館の石段の下までついてきた。
「甘くみるな。一月でもつけ回して、仕事をさせないことだって、できるんだぞ」
「あたし、古陶磁の展覧会を見に行くの。セトモノなんか、つまらないでしょ。横須賀まで送ってくれるつもりなら、ここで待っていて」
 そういうと、サト子は、後もみずに石段を駆けあがった。
 ほのかな間接照明が、陳列室にたそがれのような、ものしずかな調子をつけ、高低さまざまなケースのなかで、壺《つぼ》や、甕《かめ》や、水差や、陶碗《とうわん》が、肩の張りと腰のふくらみに、古代の薄明をふくみながら、ひっそりと息づいている。
 ケースのうえから、壺の口づくりのぐあいをながめているひとがある。足高のケースにおさまった壺の底づきぐあいを、ガラス越しに、よつんばいになって下から見あげているひとがある。そういう作法が、こっけいで目ざわりで、気が散ってしようがなかったが、そのうちに、まわりの現象が感覚からぬけ落ち、壺とじぶんだけの、しんとした世界になった。
 サト子は、ゆっくりとケースをのぞいて行ったが、そのうちに、はっとするような深い色に目を射られて、思わず足をとめた。
 おおどかに伸びあがった、無口瓶《ほそくちびん》の[#「無口瓶《ほそくちびん》の」はママ]荒地《あれじ》のままの膚に、ルリ色とも紺青ともつかぬガラス質のものが、一筋、流れている。
「なんという、いい色」
 壺どもの腰の線は、一流のファッション・モデルの腰の線よりも、美しい。それだけでも、おどろかれるのに、このもろいセトモノどもは、サト子の年の、百倍も長く生きつづけてきたのだと思うと、なにか、はるばるとした気持になる。
 五分ほども、ながめつくし、ため息をつきながら顔をあげた。まださめきらぬ、陶然たるサト子の目は、そのとき、澗の海で死んだ青年の顔を見たと思った……
「あら」
 立衿《たてえり》に桜の徽章《きしょう》のある学習院大学の制服を着たよく似た顔が、四十五六の父親らしいひととふたりで、ケースをのぞきながらこっちへやってくる。
 学帽の庇《ひさし》が影をおとす端正な顔は、凛々しいほどにひきしまっていて、あのときの青年のような卑しげなところや、追いつめられたけだもの
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