が、やはり気になったのだとみえて、三年前に、訴訟までして離婚した、もとのご亭主……ごめんなさい、鉱山局にいる由良さんのところへ相談に行ったふうなの。あのへんの谷から、ウラニウムが出る可能性があるものだろうかということなんでしょう……由良さんは、離婚裁判でひどい目に逢って以来、あなたの叔母さまを憎んでいるし、業《ごう》つくばりの腹の底を見ぬいたもんだから、ウラニウムってものは、世界中、どこの土地にもあるものだというような、皮肉な返事をなすったんだそうよ。原理として、ウラニウムは、なにかのかたちで、どこにでもあるものなんだから、出鱈目《でたらめ》を言ったわけでもないの」
「叔父は、ひねくれてしまったらしいから、それくらいなことは言うでしょう……でも、山岸さんや、秋川さんみたいなひとまで、大騒ぎをするのは、どういうわけなのかしら」
「そこまでのことは、あたしも知らないけど、それにはそれだけのわけがあるんでしょうよ……この間、アメリカのウラニウム・ラッシュの話を聞いたけど、ガイガー計数管ひとつで、千万ドルもころげこんだというような前例がいくつもあるそうだから、あれにひっかかると、正気な頭も、狂いだすものらしいわ」
サト子は、無意味な会話に疲れ、心のなかで耐えながら、なんの興味もない話をだまって聞いていた。
「シアトルの有江という公証人が、水上さんの委任を受けて、日本にある財産の整理に来ることになっているでしょう。あのひとたちが大騒ぎをしているのは、つまるところは、有江というひとが横浜に着く前に、なんとかして、じぶんのほうへ取り込もうという障害競馬の大レース……風刺劇の見本のようなものね。由良課長が笑っていたわ……出ないとはいわない。苗木の谷の斜面を五里ほども掘り崩したら、一ミリグラムぐらいのウラニウムがとれるかもしれないって」
そういうと、やりきれないといったふうに、くっくっと笑った。サト子は、つられて、
「どうせ、そんなことだろうと思ったわ」
と、いっしょになって笑いだした。
カオルは、帽子のネットをあげて、ようすよく眼を拭くと、サト子の顔をのぞきこむようにして、
「あなた、これからどうする?」
と、だしぬけに問いかけた。
なぜか、気が沈む……サト子は、どうでもよくなって、うつろな声で、言った。
「どうするって、なんのこと?」
「きょうのようなゴタゴタだけでも、たくさんでしょう。有江というひとが来て、うるさい話になって、結局は、カラ騒ぎだったというようなところへ落着くのでしょうが、その間、あっちこっちからこづかれて、嫌な思いをしなくちゃならないのよ……あたしなら、どこかへ逃げだしちゃう。日本から離れて、あまり遠くないところへ行って、幕になるのを待ってるわ」
カオルは、うっとりとしているサト子の腕に手をかけると、眠りから呼びさまそうとするように、強くゆすぶった。
「しっかりなさいよ」
「だいじょうぶ……眠ってなんかいないわ」
「サト子さん、あなた神経衰弱《ノイローゼ》よ」
「そうかもしれないわ」
「むかしの元気、どうしたの。オールド・メードがしぼんだみたいな顔をしているわ」
「そんな顔、している?」
「あなたみたいに、馬鹿正直に貧乏と取っ組むひともないもんだわ。もうすこし、暢気《のんき》におやんなさいよ。いい折だから、二ヵ月ほど、外国へでも行ってきたらどうなの」
あてどのない話をするものだ。サト子は、無理な笑顔をつくりながら、いいかげんに調子をあわせた。
「日本にいてさえ、満足に暮せないというのに、どうして外国へなんか……でも、そんなうまい話があるの」
カオルは、気をもたせるような含み声で、
「あるにはあるのよ……飛びつくほどの話でもないけど、あなたなら、どうかと思って……」
「どんな話でしょう」
「ドイツのグラス・ファイバーと、アセテートを輸入している生地屋《きじや》なんだけど、一流のデザイナーと演出家を専属にして、ファッション・ショウにレヴュウをくっつけて、中米と南米で、日本趣味の大掛りな宣伝をしようというわけ……プロデューサーがいうのよ。展示する服より、じぶんの器量をヒケラかそうという、映画スター気取りのモデルは、たくさんだって……着ているものの枠《フレーム》のなかにキチンとおさまって、デザインや生地の美しさを生かしてくれるような、すぐれた感覚をもったひとだけを集めたい意向なの……あなたにうってつけの話だと思って、推薦しておいたわ。あなたをグループの代表にするという条件で……」
「あたしなんか、柄でもない。ほかに、いくらでもいいひとがいるでしょう。そんな責任を負わされて、外国へ行くなんて、考えただけでも、気が重くなるわ」
カオルは、機嫌よくうなずいて、
「気がなければ、しようのないことだわね。無理におすすめしないわ……その話はべつにして、あなたが行きたいと言えば、秋川なら、よろこんでお金を出すでしょう……あなた、秋川をどう思っているの?」
「どうって、考えたこともないわ」
「本音《ほんね》なら、それがあなたの憂鬱の原因なのよ。見抜いたみたいなことを言うようだけど、あなたの神経衰弱《ノイローゼ》は、生活のなかに、大切なものが足りないせいなの。精神を高めて、生きて行く張りあいを感じさせる、希望といったようなものが……」
「よく、わからないけど……」
「欺《だま》されたと思って、恋愛をしてごらんなさい。憂鬱なんか、いっぺんに消しとんでしまうわ……手近なところで、秋川にうちこんでみたらどう? 秋川に金をだしてもらって、外国へでも行って来ると、むかしのような、元気なサト子さんになること、うけあいよ」
サト子は、精いっぱいにつとめていたが、我慢しきれなくなって、思いきり手強くはねつけた。
「いろいろとおっしゃってくださるのは、ありがたいんですけど、間もなく、お祖父さんが帰ってくるので、日本を離れるわけにはいかないのよ」
「水上さんが帰ってくるんだって?」
「飯島の叔母は、庭先へさえも寄せつけないでしょうから、あたしが引取って、世話をしてあげるほかないの」
カオルは、取りはずしたような表情でサト子の顔を見ていたが、口もとに、なんともつかぬ笑皺をよせて、
「そんなお便りでも、あったの?」
と、あわれむような調子で言った。
「有江の名で、電報、よこしたわ。ニューグランドで会いたいなんて」
「あなた、どうかしているわ。水上さんが、自身でいらっしゃるなら、代理のひとをよこすことはないでしょう。そうじゃなくって?」
そう言われれば、それにちがいない。飯島の叔母に知られたくないので、有江の名で電報をよこしたのだとばかり思いこんでいたが、都合のよすぎる解釈だったらしい。
シアトルからきた電報を見た瞬間、サト子は、たぶん貧乏に疲れて帰って来るお祖父さんを、西荻窪の植木屋の離屋にひきとって、根かぎり世話してあげようと思った。じぶんはもうひとりではなく、お祖父さんといっしょに暮してゆけるという、楽しい希望に鼓舞され、どんなにでも働いてやろうと意気ごんでいたが、お祖父さんに会うという喜びは、これでまた、当分、おあずけになったと思うと、気持の張りがなくなって、急にがっくりなってしまった。
「そのくらいのことで、そんなに力を落すことはないでしょう。水上さんが帰っていらっしゃらないから、こっちから会いに行く、というような気にはなれないの?……さっきお話ししたファッション・ショウは、シスコを経由するはずだけど、旅客機でなら、シアトルまで、わずかの時間で行けるのよ。並木通りの『アラミス』というレストラン、ごぞんじ? モデル・クラブの事務所の近く……」
「ええ、知っているわ」
「二時ぐらいに、そこでプロデューサーに会って、いろいろ聞いてごらんになるといいわ」
「プロデューサー、なんという方なの」
「おぼえていらっしゃるでしょ。飯島に別荘をもっていた神月伊佐吉……」
サト子は、われともなく筒ぬけた声をだした。
「あの神月さん?」
あの夜、扇ヶ谷の谷戸の上で、カオルは山岸の子でなく、神月の子だという深刻な告白をきいて、ひとごとながら強いショックを受けた。そのときのおどろきが、まざまざと心によみがえってきた。
カオルと芳夫ぐらい、似たところのない姉弟もないものだと、そう思い思いしたが、疑問をおこすだけのことは、たしかにあったのだ。そういう思いで、それとなくカオルの横顔をうかがっていると、カオルは、瞼をおしあげて、マジマジとサト子の顔を見かえした。
「どうして、そんな顔をなさるの?」
サト子は、あわてて、
「思いがけない名を聞いたもんだから」
と言いまぎらしたが、カオルに顔を見つめられているうちに、うしろめたい思いで、ひとりでに顔が赤くなった。
よく頭の回るカオルのことだから、ソロソロ疑いかけているのかもしれない。もういちど強くつっこまれたら、あの夜、愛一郎とカオルの話を聞いてしまったことを、白状するほかはない。サト子のあわれなタマシイは、尻尾《しっぽ》を巻いて逃げだしにかかった。
「人間ばなれがしたようなあの顔、いまでも忘れないわ……子供のとき、あたしも神月さんを好きだったのかもしれないわね」
カオルは機嫌をなおして、
「ずいぶん年をとったけど、美しいことは、いまでも美しいわ……でも、神月の美しさって、空虚な美しさよ。白痴美といったようなもんだわ」
腕時計に目をやりながら、
「ともかく、あなた、お出かけなさいよ……あたしは、喧嘩の仕上げをしてくるから」
カオルが出て行くと、サト子は、レーンコートをとって腕を通したが、そのまま、また椅子に腰をおろした。
海から吹きつける強い風が、ガタピシと窓をゆすぶる。昼すぎから暴風雨になるだろうと、ラジオで言っていた。風が変ったらしく、工場のサイレンや、ポンポン蒸気の排気管や、可動橋の定時の信号や、汽艇の警笛《シッフル》や、さまざまな物音が、欄間《らんま》の回転窓の隙間から雑然と流れこんでくる。
約束は二時だから、急ぐことはないが、そんなことより、神月に会いに行くということを含めて、いっこうに気乗りがしない、知らない国に出かけて行って、お祖父さんに会ってくるのも悪くないが、カオルがすすめるから、その気になったまでのことで、強く望んでいるわけではない。
この夏の終りごろまでは、サト子は、後さがりばかりしているような、無気力な女ではなかった。生きてゆくことに希望をもち、斬新な生活の方法を考えだして実行するという、張りのある世渡りをし、一日一日を満足して生きていたものだが、このごろ、心の支えがなくなったようで、すこしこみいったことになるとすぐ、どうでもいいと投げだしてしまう。
あまりひどい貧乏では困るが、見た目におかしくなければ、着るものなんかどうだっていい。食べてみたいというようなものもない。腹がふさがる程度に食べられれば、それで結構といったぐあいで、どうしたいというような欲望は、ぜんぜんなくなった。
「二十四だというのに、これはまたひどく枯れきったもんだわ」
サト子自身も、おかしいと思っている。こんなことばかりしていると、カオルが言ったように、意地の悪い、ひねくれたオールド・メードのようになってしまうのだろう。
越中島の白い煙突、黒い煙突からたちのぼる煙が、空から吹き落され、黒い靄のように掘割の水のうえを這っている。サト子は、そろそろ荒れかけてきた、さわがしい風景をながめながら、あのころ、あんなに張切っていたのはなんのせいだったろうと、しんみりと思いかえしてみた。
そんなサト子にも、どきっとするような思い出がないわけではない。
青梅の奥で、キャベツ、蕪《かぶ》、トマト、胡瓜など、日本人向きの清浄野菜をつくっている坂田という青年が、中野の市場まで荷を出しに行った帰り、サト子が離屋を借りている植木屋の門の前で牛車をとめ、自動車がクラークションを鳴らすように、牛の首を叩いて、モーと啼《な》かせる。芯まで焼けとおったような黒い顔を、汗だらけにしてはいってきて、サト子の部屋の縁
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