じ》れて足踏みをした。
「オレたちのほうは、どうなるんだ。簡単にやってくれえ、急いでいるんだ」
 カオルはサト子の腕に手をかけて、
「うるさいわね……ともかく、出ましょうよ。きょうは、いい話があって、伺ったの」
 ひきたてるようにして、連れだしにかかると、猪首の女が扉口に立ちふさがって、脅しつけるような声をだした。
「ちょっと待て……そこにいるのは、水上サト子というファッション・モデルだろ。そいつにも、言いたいことがあるんだ。出て行くのは、あとにしてもらおう」
 カオルは、わざとらしく、肩ごしに戸口のほうへ振り返ってから、窓際にいるシヅにたずねた。
「あの女レスラーみたいなひとたち、なんなの?」
 シヅは眼を伏せて、おどおどしながら、
「横須賀の白百合組のやつらなんですけど」
 と、謹んだ調子でこたえた。
 カオルは、乾いた眼つきで、まともに女たちのほうを見ながら、
「むかしは、こんなじゃなかった。横須賀の白百合組も、柄がわるくなったわね……いま、なにか言ったようだけど、急ぐ話だから、待ってなんか、いられないのよ」
 問題にもしない顔で、つっぱなしておいて、
「さあ」
 と、サト子の肩をおした。
 シヅは、興奮して青くなって、小刻みにふるえながら、通りにむいた窓のそばに立って、イライラと指の爪を噛んでいる。これから、ここではじまる、みじめな光景を眼にえがくと、シヅを見捨てて、出て行く気にはなれない。
「でも、あたし、こまるわ」
 サト子が渋ると、カオルはうす笑って、
「あなたがいたって、どうにもなりはしないでしょう。放っておけばいいのよ。このひとたち、こんなところで、大きな顔でジタバタできるわけはないんだから」
 戸口の壁に凭《もた》れて、陰気な眼つきをしていたのが、うしろ手に隠していた喧嘩用の砂袋《サンド・バッグ》を右手に持ちかえると、のっそりとカオルのほうへ寄って行った。
「おれたちに、どうして喧嘩ができねえんです?」
 カオルは、顔をしかめながら、
「あなたたちの話ってのは、どうせ、闇ドルのことでしょ? むこうの河岸っぷちに、横浜税関の車がとまっているわ。あんたたち、お伴つきで来たわけなのね。お望みなら、窓をあけてあげるから、言いたいことを、精いっぱいどなってみるといいわ」
 砂袋《サンド・バッグ》を持ったのが、ひととき、くすんだようにだまりこんでいたが、そのうちに、どんな殺伐なことでもやりかねないような動物的な眼つきになって、
「ふン、ずいぶん、見通したようなことを、おっしゃいますね。えらそうな口をきくあんたさんは、どこの、なんというひとです?」
 と、嫌味に絡《から》みついてきた。
 カオルは、相手の顔を見もせず、サト子に、
「神奈川県庁の嘱託をしているころ、このひとたちがむやみに殖えて、アナーキーになって喧嘩ばかりしているので、白百合という組をつくって、みんながやっていけるように、してやったことがあるの……あたしを知らないようじゃ、このひとたち、ほんの駆けだしなんだわ」
 と遠慮のない高調子で、笑いあげた。
「ヤマさん、しばらく」
 グレーのジャンパー・スカートに、緋裏《ひうら》のついたアンサンブルのコートを、マントのように羽織った、外人向きの、高級バアのマダムという見かけの二十七八の女が、そう言いながら、すらすらと部屋にはいってきた。
 ロングカットの髪を、なよなよと片頬にたらし、レースのハンカチをひとつだけ入れた、中の透けて見える花籠のようなマクラメのバッグを手首にかけ、馴れ馴れしいくらいなようすでカオルのそばへ行って、ベッドの端に並んで掛けた。
「お忘れですか」
 カオルは、気のない顔で、うなずいてみせた。
「ああ、曽根さん、ね?」
「曽根です。おぼえていてくだすって、光栄だわ。すっかり、ごぶさたしちゃって」
「忙しけりゃ、けっこうよ……あなた、いま?」
「横浜の山下町で、小鳥の巣箱のような、ちっちゃなバアをやっていますの」
「その話、誰かから聞いたわ……どうなの?」
「このごろ、いくらか恰好がつきかけたんですが、ドル小切手の偽造事件以来、税関の監視員がうるさくなって……いいことって、ありませんわねえ」
「横浜といえば、鎌倉で、捜査課の外勤をやらされていた中村が、また神奈川の警察部へ戻っているらしいわね」
 曽根は、苦っぽく笑いながら、
「こわいひとが、横浜へ戻って来たので、ビクビクしながら商売していますわ」
 カオルは、戸口に立っている女たちのほうへ流し目をくれながら、曽根に、
「サト子さんもあたしも、二時にランデ・ヴーがあるんだけど、あのひとたち、ここから出してくれないの……どういう騒ぎか知らないけど、あたしたちまで巻添えになるのは、迷惑よ……そのひとなどは砂袋《サンド・バッグ》みたいなものを持っているようだけど、時代がちがうんだから、タワケたことはいいかげんによすほうがいいわね」
「あら、そんなものを持っているんですか。よく言っておいたんですが、バカだから……」
 曽根は恐縮したみたいに、かたちだけのそぶりをして、
「そこにいらっしゃるのは、水上さんですね?……お話を伺えば、それですむことなのに、シヅが、妙につっぱるもんだから、こんなことになっちまって……」
 と、やさしいくらいの調子でこたえた。
 シヅが、どんな目にあわされるのだろうと心配していたが、相手がやさしく出て来たので、サト子は、うれしくなって、
「あたし、水上ですけど、話ですむのでしたら、どんなことでも」
 曽根は、サト子と向きあう椅子に移ると、しんみりと話しこむ恰好になって、
「ごぞんじだろうと思いますが、話ってのは、ウラニウム籤のことなんです」
 ウラニウムという言葉を聞くのは、これで三度目だが、正面切ってたずねられても、知らないことなので、返事のしようがなかった。
「わかるように、説明していただきたいわ。ウラニウム籤って、なんのことでしょう」
 曽根は、探るような眼つきでサト子の顔をながめまわしてから、戸口にいる猪首の女に、命令するような調子で言った。
「水上さん、ごぞんじないそうよ。あんた、わかるように話してあげて」
 猪首のが、りきみかえったようすで、どもり、どもり、言った。
「そこにいる水上さんとこへ、何億という財産がころげこんで……そうしたら、水上さんの叔母テキだの、山岸という弁護士だの、坂田とかいうアメリカくずれだの、それから、秋川という大金持だの、その息子だの、欲の皮のつっぱったやつらが、総がかりになって、ひったくりにかかったので、水上さんは切《せつ》なくなって、おシヅのところへ逃げこんできて、おシヅとウィルソンに、身柄は任せるからよろしくたのむと、委任状を渡したんだって……あたしの聞いたところじゃ、それが、ウラニウム籤のモトになる話なんです」
 曽根は、目カドを皺めながら、
「水上さん、おわかりになったでしょう」
 と言いながら、サト子の顔をのぞきこむようにした。
 いま、じぶんを中心にして、目に見えぬ気流のようなものが渦を巻いているような感じがする。それは、愛一郎が飯島の久慈という家に忍びこんだことにも、叔母の熱海行きにも、山岸芳夫との結婚をおしつけられたことにも、大矢シヅが今日まで世話をしていたことにも、すこしずつ関係があるらしいふうだった。
 ひとの知らない片隅で、ひっそりと生きていくことを理想にしている、貧しい平凡な娘をとり巻いて、このひとたちが、なんのために、いきりたったり、腹をたてたりしているのかわからない。
 サト子にしても、どういうことなのか、知りたいと思わないわけはないが、このふた月ほどの間、あてもなくブラブラしているうちに、いぜんのような元気がなくなり、どんなことにでも、きっぱりとした決断をくだすことがむずかしくなった。
 こうなるには、それだけのわけがある。夏の終りごろ、飯島の近くで、いい気になってチョコチョコしたばかりに、いうにいえぬ苦い経験をなめた。
 二十四という、中途半端な年ごろの、娘の心のなかにある意想のすべては、どれもみな情緒たっぷりで、真実からほど遠いところで霞んでいる。ひとりで気負《きお》って、愛一郎という青年を庇いだてするような真似をしたが、現実は、サト子が考えているような、甘いだけのものでなかったことを知って、目がさめたようになった。
 人生の端っこをのぞいたばかりなのに、なにもかも知りぬいているみたいに、いい気になって差し出るのは、やめたほうがよろしかろう。ひどくゴタゴタしているようだが、これだって、案外、愚にもつかぬことなのかも知れない。なにもわからないくせに、興奮することも、イライラすることもいらない。カオルや大矢シヅを向うにまわして、ぬきさしのならないところで問い詰めてやるのは、相当、精力のいる仕事なのだろう。ギリギリの最後になったら、それだって恐れはしないが、いまのところは、ものの意味が、ひとりでにわかりだしてくるのを、気長に待っているほうがいい。
 サト子が、ぼんやりした顔をしているので、曽根は、おいおい険相な風情になって、
「ねえ、水上さん、だまっていないで、なんとかおっしゃっていただきたいわ」
 というと、膝頭で、サト子の膝をグイとニジリつけた。
 サト子は、そっと膝をよけながら、
「だから、わかるように、話してくださいと申しあげたでしょう? うかがっていますわ」
「ウィルソンが、一枚一ドルで、香港の宝彩のようなものをつくってきて、水上サト子の何億かの財産を安定させるには、先立って、坂田とかいうひとから、鉱業権を買戻すことになるのだが、ひと口、乗っておけば、一枚について、本国ドルで、一ドル五十セントになって返ってくるというんです……水上さんの話は、シスコあたりの新聞にも、大きく出たそうですし、たかが一ドルのことだし、それに、軍票弗《ピンク》で買うと、五割の利子がついて、本国弗《グリーン》になって返ってくるというところが魅力なんで、大勢のなかには、五年がかりで貯めこんだ更生資金を、そっくりつぎこんだ、なんてのもいるんです」
 コートのかくしから、小さく折りたたんだ二ページの邦字新聞をとりだして、
「これは、汎《パン》アメリカン航空のスチュワーデスが持って帰った『シアトル日報』ですが、こんな記事を見ると、やはり不安になって……」
 サト子に渡しかけると、カオルは、二人の間に割りこんで、
「そんなものを、ひけらかしたって、どうにもなりはしなくってよ」
 と言いながら、曽根の手にある新聞を、払うようにおしかえした。
「曽根さん、あなた、なにか見当ちがいしているようだけど、こんどのことについては、サト子さんは、なにも知らない……というより、まるっきり、なにも知らされていないんだから、そんなものを見せたって、途方に暮れるだけのことだわ」
 曽根は手に新聞を持ったまま、怒りをひそめた白っぽい顔になって、
「あたしなどは、どうせ、学も知恵もない女だから、こんな考えかたをするんでしょうが、この問題のご当人は、ヤマさん、あなたじゃなくて、そこにいらっしゃる水上さんだと思うんだけど」
 カオルは、首をかしげて、
「わからない……あなたのおっしゃりたいのは、どういうことなの?」
「気にさわったら、おわびしますが、正直なところ、あなたからお話を伺っても、しようがないように思うんです」
 カオルは豹の皮の手套《マフ》のポケットからシガーレット・ケースをだして、煙草に火をつけながら、
「あたしの言いかたが、足りなかったのかしら。こんな赤ん坊みたいなひとに、むずかしいことを言いかけてみたって、あなたがたの気のすむような返事はできなかろうということを、言ったつもりなんだけど」
 曽根は、張りあうように煙草に火をつけ、しっかりと腰をすえたかまえになって、
「あたしどもには、そのへんのところが、よくわかりかねるんですがねえ……何億という財産が、どうにかなるというのに、ご当人が、ぜんぜん知らないというのは、どういうことなんでしょう? 講談なんかに、ありますわね。お家騒動とか、お家乗っ取
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