やったらそれは倒れるのがあたりまえで、倒れても当然とご批判を願いたいのであります。
 しかし大刊行物たるに違いないので、これに索引が出来ますと、これはインドを見る鏡のようなもので、インドの研究はシナの一切経を研究しなければ分らぬというて差支えない。それを研究しなければ最後の断案を下すことが出来ないといってよい。思想方面は殊にそうである。インドの思想方面というものがヨーロッパの人の着目している所で、ヨーロッパの倫理も行き詰まり、宗教も行き詰まり、すべてに行き詰まって、それまで馬鹿にしておったインドの説を聴かなければならぬような時期になっている。インドに行って思想を研究しようと思うと、インドの山の中に入らなければならぬ。しかもインド人は西洋人の手では、一向要領を得ることが出来ないが、その思想の写真が一切経という大きなものになって、しかもそれが間違いのない遺憾のないという点まで押し付けての研究が出来る。まず自分で手に握ることの出来るものでインドを研究する。前は歴史的のまた地理的のことはシナの法顕三蔵、玄奘三蔵、義浄三蔵の書いたものによってインドの研究を始めたのでありますが、今度細かい内容の思
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