、ちょうど日露戦争の時に私は末松男爵に随ってロンドンに三年戦争中に渡って滞在した時があり、まだ戦争が始まらぬ前に、日本を出る時どうせ奉天も日本の兵が占領するに違いないから、黄寺にある満洲経をどうか日本に取り寄せることが出来れば取って戴くことを願うということを時の宮内大臣に申し送った。宮内大臣もそれを諒とせられ、だんだん日本軍の進むに従って出先の山懸参軍にその事を申し送り一切経収容のことを希望された。然るに「今度の戦争は正義の戦争で分取りに類することは一切しない。殊にシナの中立地帯からたとえそれが大切なものであっても、これを無償で取るということは一切出来ない、これは陛下の思召しと雖もお断り申してくれ」ということであった。それを宮内大臣が明治天皇陛下に申上げられたところ、それほど大切な物なら内帑の金で買ってやれ、と仰せになって御内帑金二万円をお出しになって満洲の一切経を買入れの上大学にお下げになって頂戴したのであります。
そうして日露戦後私は帰って見たところ満洲経として下げられたのは満洲の一切経でなくて蒙古の一切経であった。蒙古蔵ならばまだ幾つもある、満洲蔵は三つしかないその一つを得るの
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