ると研究も何も要らない。それでありますから一切経はまあたくさんあるだけよい、遅い物も早い物も一緒にあるのがよい、こういうように見たいと思うのであります。
それで百七十人の人が訳したのでありますがその中にたった一人日本人がいる、これはわれわれ忘れてはならない人で、奈良の興福寺から留学した霊仙法師、これが弘法大師、伝教大師などと一緒に入唐した、若いのに偉かってシナ学僧の上座に立ちて訳場の首席であった。そのため嫉みを受けて五台山に逃げて行っている中に朝鮮人に毒を盛られて殺されてしまった。その死ぬる時に五台山停点普通院の壁上に左の手記あるを慈覚大師が発見せられた、「日本国内供奉翻経大徳霊仙元和十五年九月十五日到此蘭若」としてあった。それから持っておった物などは常暁律師がシナに留学した時にシナ人弟子から受け取って還った。大元帥法という仏教の儀式は霊仙の教えた所である。霊仙はインドから来た般若三蔵の下に在って心地観経を訳した。この経は四恩のことを書いてある大切な経であります。これはシナの一切経には霊仙三蔵が訳したとは書いてない、その訳した時に自分で写して日本の皇室に奉ったのが石山寺に残っている、
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