音楽師が、一緒になって拍子をとって踊った。ところがそれを聞いて後ろの山におった老人は、この老人は裸で始終寝ておって、東大寺の方を始終見ている、そこで当時の人は「伏見の翁」といっておった。この翁は不思議な男で嘗て物を言ったことがない、唖だと思われておったのに、いまインドから拍子をとって唄い踊っているのを聞いて、その音楽が分ったと見えて丘から下りて来て、一緒に自分も踊り出した。「時なる哉、時なる哉、時至れり」といって踊り出した。これもインド人であったに相違ない。行基は両人を聖武天皇にご紹介するという訳で、聖武天皇も非常に満足であった。これは大仏を作って開眼供養にインド人を招くということが聖武天皇の思召でインド人を迎える内命を持った留学生がシナに出張しておったものと信ぜられます。五台山に登っても日本に来るように計らい、楊州に行っても日本人に会するように聖武天皇のお手が延びておったのだろうと思います。
 それでバラモン僧正が来ると直ぐ僧正に任ぜられて、時服を賜い荘田を与えられて大安寺に寓せしめられた。大仏が立つ時になると、バラモン僧正は開眼供養の大導師を命ぜられ、臨邑の仏哲に大音楽師として楽隊
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