。まだ他にもたくさんおりますが、これに林邑の大音楽師仏哲とインドのバラモン僧正がいる。その船が大阪に入って来ますというとこれを迎えに出たのが行基菩薩、四天王寺にあった雅楽寮の楽師を率いて、海口に迎えました。行基菩薩が迎えるというと直ちに自分の尋ねる文殊だと思い込んでしまった、文殊であったかも知れないほどの偉い人であった。行基菩薩が迎えて自分の寺の、奈良の菅原寺に連れて行き、いろいろ歓待した。
その夜は、非常に嬉しいので、文殊に会い而もその厚遇を受けたので、インド人であるから箸は使わないが、附けられた箸をもって拍板となし拍子をとって喜んで唄い出した。仏哲は熟練した音楽者であった。舞楽は多く仏哲が教えたもので、宮中に今残っている二十八番の舞楽の中で仏哲の手に触れない音楽は殆どないといって差支えない。彼が臨邑から伝えたものは臨邑八楽といって八種ある。楽曲も神話も皆インドのものであります。これが多くいま残っているのであります。大仏の開眼供養の大法会に殊更に作った太平楽というものもいま宮中に残っている。西暦七百年代に作った音楽でいま世界に残っているものはどこにもない、日本だけであります。この大
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