たのであります。アンコルワットを天竺徳兵衛は祇園精舎と[#「祇園精舎と」は底本では「祗園精舎と」]思っている、その土地をインドと思っている。しかしそれをインドと思うのは無理がないのでことごとくインドの名前が付いているからであります。アンコルワット寺院のある所も釋迦如来の太子たりし時の妃の名前が付いて、ヤソダラプラ(耶蘇陀羅城)というのである。すべてインド文明でもって成り立っている。インド人種で植民されている。そしてその結果が「インド・マレー文明」と名を付けてよいだけの一種の文明が出来上ったのであります。而してこの臨邑が一番日本に関係があったのであります。天平時代にここから出て来た人がある、仏哲という人であります。この仏哲という人は臨邑の慈善家であってよほどの学者であります。その人がマレーの沖に出て、今の西貢の沖あたりかも知れませんが、真珠を採集して慈善に宛てるために作業しているうちに船が難破して困っておった。時にインドから来た大きな船が通りかかった、その船はペルシャの船であったろうと思いますが、その船に乗っておったのがインドのバラモンで菩提仙那(ボーデイセーナ)という人であった。シナに
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