とはない。けれども如何なる幸福も、此信念の幸福に勝るものはない。故に信念の幸福は、私の現世に於ける最大幸福である。此は私が毎日毎夜に實驗しつつある所の幸福である。來世の幸福のことは、私は、まだ實驗しないことであるから、此處に陳ぶることは出來ぬ。
 次に如來は、無限の智慧であるが故に、常に私を照護して、邪智邪見の迷妄を脱せしめ給ふ。從來の慣習によりて、私は知らず識らず、研究だの考究だのと、色々無用の論議に陷り易い。時には、有限粗造の思辨によりて、無限大悲の實在を論定せんと企つることすら起る。然れども、信念の確立せる幸には、たとへ暫く此の如き迷妄に陷ることあるも、亦容易く其無謀なることを反省して、此の如き論議を抛擲することを得ることである。「知らざるを知らずとせよ、是れ知れるなり」とは、實に人智の絶頂である。然るに我等は容易に之に安住することが出來ぬ。私の如きは、實に、をこがましき意見を抱いたことがありました。然るに、信念の幸惠により、今は「愚癡の法然房」とか、「愚禿の親鸞」とか云ふ御言葉を、ありがたく喜ぶことが出來、又自分も眞に無智を以て甘んずることが出來ることである。私も以前には、有限
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