る。私は何が善だやら何が惡だやら、何が眞理だやら何が非眞理だやら、何が幸福だやら何が不幸だやら、何も知り分る能力のない私、隨つて善だの惡だの、眞理だの非眞理だの、幸福だの不幸だのと云ふことのある世界には、左へも右へも前へも後へもどちらへも身動き一寸することを得ぬ私、此私をして虚心平氣に此世界に生死することを得しむる能力の根本本體が、即ち私の信ずる如來である。私は此如來を信ぜずしては生きても居られず、死んで往くことも出來ぬ。私は此如來を信ぜずしては居られない。此如來は私が信ぜざるを得ざる所の如來である。
 私の信念は大略此の如きものである。第一の點より云へば、如來は私に對する無限の慈悲である。第二の點より云へば、如來は私に對する無限の智慧である。第三の點より云へば、如來は私に對する無限の能力である。斯くして私の信念は、無限の慈悲と、無限の智慧と、無限の能力との實在を信ずるのである。無限の慈悲なるが故に、信念確定の其時より、如來は、私をして直に平穩と安樂とを得しめたまふ。私の信ずる如來は、來世を待たず、現世に於て、既に大なる幸福を私に與へたまふ。私は他の事によりて、多少の幸福を得られないこ
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