であつたのであります。私の信念には、私が一切のことに就いて私の自力の無功なることを信ずると云ふ點があります。此自力の無功なることを信ずるには、私の智慧や思案の有り丈を盡して、其頭の擧げやうのない樣になると云ふことが必要である。此が甚だ骨の折れた仕事でありました。其窮極の達せらるゝ前にも、隨分宗教的信念は、こんなものであると云ふ樣な決着は時々出來ましたが、其が後から後から打ち壞はされて了うたことが幾度もありました。論理や研究で宗教を建立しようと思うて居る間は、此難を免れませぬ。何が善だやら惡だやら、何が眞理だやら非眞理だやら、何が幸福だやら不幸だやら、一つも分るものでない。我には何も分らないとなつた處で、一切の事を擧げて、悉く之を如來に信頼する、と云ふことになつたのが、私の信念の大要點であります。
 第三 私の信念は、どんなものであるかと申せば、如來を信ずることである。其如來は私の信ずることの出來る、又信ぜざるを得ざる所の本體である。私の信ずることの出來る如來と云ふのは、私の自力は何等の能力もないもの、自ら獨立する能力のないもの、其無能の私をして私たらしむる能力の根本本體が、即ち如來であ
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