田さんの応援をしたのは、西山のふもとのわら小屋に草焼きの火がうつったときのことで、事件はたいそうかんたんでした。しかし、こんどの事件は、これはなかなかむずかしいのです。いったい、どうしてそうさくをはじめたらいいでしょう。
 すると、富鉄《とみてつ》さんという、大きい鼻のおじいさんが、いいことを思い出してくれました。それはいまから四十年くらいまえ、村の一文|商《あきな》いやが、坂谷《さかだに》まで油菓子の仕入れにいった帰り、ろっかん[#「ろっかん」に傍点」山のきつねにばかされて、まいごになったという事件でありました。そのとき、村の人びとは、かねやたいこを鳴らして、山や谷をさがして歩き、ついに、泉谷《いずみだに》の泉の中で、ももひきを頭にかむってがつがつふるえながら、「これはええ湯じゃ、ええかげんじゃ」といっている一文商いやを見つけ出すことができたのでありました。富鉄じいさんはこの話をよく知っていて、こまかく説明しましたが、それもそのはずで、きつねにばかされたのはじぶんのことだったのです。
 富鉄さんの話を聞いてみれば、きつねにばかされるということも、ありそうに思えました。ろっかん[#「ろっかん」に傍点]山では、今でもよく、きつねのちらりと走りすぎるのが見られますし、村の中でだって、寒い冬の夜ふけには、むじなの声が聞けるのですから。また、たとい、きつねやむじなにばかされないにしても、よっている人間というものは、ばかされている人間とあまりちがわないというわけです。
 そこでみんなは、鳴物《なりもの》を持ってきました。かね[#「かね」に傍点]はお寺でかりてきました。おそうしきの出る時刻を、知らせてまわるときにたたく、あのかね[#「かね」に傍点]です。たいこは、夜番が「火の用心」といってはドンとたたく、あのねぼけたような音のたいこです。もと吉野山参りの先達《せんだつ》をなんべんもやった亀菊《かめぎく》さんは、ひさしぶりに鳴らしてやろうというので、宝蔵倉《ほうぞうぐら》からほら貝をとり出してきました。しかしひとふきふいてみて、おどろいたことにもうそのほら貝は、しゅうしゅうという音をたてるばかりで、鳴りませんでした。「こりゃ、ひびがはいっただかや」と亀菊さんはいいましたが、息子《むすこ》の亀徳《かめとく》さんがふいたら、そのほら貝はよい音で鳴ったのです。そこで亀菊《かめぎく》さんは、じぶんが年をとったことがよくわかりました。そして年をとることは、あほらしいことである、と思ったのでありました。青年団のラッパ手|林平《りんぺい》さんは、月の光でもピカピカ光るよいラッパを持ってきました。こいつなら三里ぐらいは聞こえるだろう、と林平さんは心のなかで得意でした。
 そして男たちは、手に手にちょうちんを持って、山にはいっていきました。かね[#「かね」に傍点]やたいこはたたかれ、ほら貝もふかれました。林平さんはラッパをどんなふしでふこうかまよいました。
 しかし、きつねにばかされた人間と牛をさがすのには、こういうふしはどれもぴったりしないような気がしましたので、しまいには、ただ「プウーッ、プウーッ」とふしなしでふきました。すると、けなすことのすきな亀菊さんが「まるでゾウのおならみてえだ」といいましたので、林平さんは気をわるくしました。こんなことをいっても亀菊さんは、じっさいにゾウのおならを聞いたことなどありはしなかったのです。
 みんなは、あちらこちらとさがしまわりましたが、同じ谷になんども下《お》りたり、同じやぶになんどもはいったり、同じ池をなんどもめぐったりしました。これではまるで、じぶんたちがきつねにばかされているみたいだ、などと思いながら、みんなは十ぺんめにまた、同じ池をぐるりとまわりました。
 もうだいぶんくたびれていて、ほら貝やラッパはもう鳴りませんでした。ときどきねぼけたような音でたいこが鳴るだけでした。さてこんなにしてさがしましたが、和太郎さんと牛は見つからなかったのです。それどころか、みんなのうちで、ふたりの人が、どこかへはぐれていってしまったことがわかりました。いやはやです。これでは、いつまでさがしていてもむだなばかりか、かえって損というものです。
 もう、池の面《おも》が、にぶく光っていました。そのとき、池のむこうのやぶで、年とったうぐいすがしずかに鳴きましたので、みんなは、やれ朝になったかと思いました。そこで村に帰りました。

       六

 村の人たちは夜っぴてねなかったうえに、山の中を歩きまわったので、たいへんくたびれて村に帰ってきました。そして、ひとまず駐在所の前にきたのですが、もう立っているのがものういので、道ばたの草をしいて、みんなすわってしまいました。
 すると、西の方の学校のうら道を、牛車が一台やってきました。もう仕事にいくのかと、みんなはぼんやりした目で見ていました。
 牛車が駐在所の前を通るとき、のっていた男が、
 「おい、おまえら、朝早いのう。きょうは道ぶしんでもするかえ」
といいました。
 見たことのある男だと思って、みんながよく見ると、それが和太郎さんだったのです。
 「なんだやい。おれたちァ、おまえをさがして夜じゅう、山ん中を歩いておっただぞィ」
と、亀菊《かめぎく》さんがいいました。
 「ほうかィ。そいつァはご苦労だったのォ」
といって、和太郎さんは牛車から下りもせずに、家の方にいってしまいました。
 「なんのことか」と、村びとたちはあいた口がふさがりませんでした。こんなことなら、大さわぎして山の中をさがしまわるなど、しなくてもよかったのです。
 これは、和太郎さんをみんなで、しかりつけてやらねばならないと、年より連中《れんちゅう》はいいました。それでないとくせになるから、というのでした。そこでみんなはねむい目をこすりながら、和太郎さんの家につめかけていきました。
 和太郎さんは庭で、よぼよぼ牛をくびき[#「くびき」に傍点]からはずして、たらいに水をくんで飲ませていました。
 「やい、和太」と村でりこうもんの次郎左《じろうざ》ェ門《もん》さんがいいかけました。「おぬしは、村じゅうのもんにえらい迷惑をかけたが、知っとるかや。おれたち、村のもんは、ゆうべひとねむりもせんで、山から谷から畑から野までかけずりまわって、おぬしをさがしたのだが、おぬしは、それに対してだまっておってええだかや」
 これでは次郎左ェ門さんもそうさく隊にはいっていたようにきこえますが、ほんとうは、ついさっきまで家でねていたのです。
 和太郎さんは、次郎左ェ門さんのことばをきくと、びっくりしました。たいそう村の人たちにすまないと思いましたので、「そいつァ、すまなかったのォ」と十三べんもいって、そのたびに頭をかいたり、背中《せなか》をかいたりしました。そして、牛もじぶんもよってしまったので、こんなことになってしまった、と説明しました。
 村の人たちはいい人ばかりなので、じきに、腹がおさまりました。そこでこんどは、いろいろ和太郎さんにききはじめました。
 「和太さん、それで、いままでどこをうろついていただィ」
と、亀徳《かめとく》さんがききました。
 和太郎さんは首をかしげて、
 「どこだか、はっきりしねえだ。右へかたむいたり、左へかたむいたり、高いところにのぼったり、ひくいところに下りたりしたことをおぼえているだけでのォ」
と、こたえました。
 「それで、無燈で歩いとったのか」
と、おまわりさんの芝田《しばた》さんはききました。
 「無燈じゃごぜえません。ここに小田原《おだわら》ちょうちんがつけてありますに、ごらんくだせェ」
といって、和太郎さんは牛車の下へ頭をつっこみました。
 ところが小田原ちょうちんは、上半分しか残っていませんでした。どうやら、水でぬれたため、紙がやぶれて、コイルのようにまいてあった骨がだらりとのび、それがとちゅうでなにかにひっかかって、ちぎれてしまったらしいのです。
 「水にぬれたので、こんなになっちめえました」
と和太郎さんは、ちぎれて半分の小田原ちょうちんをはずして見せました。
 「そういえば、牛車も牛も、和太郎さんの着物も、ぐっしょりぬれているが、こりゃ夜つゆにしてはひどすぎるようだ」と、だれかがいいました。
 「ひょっとすると、どこかの池の中でも通ってきたのじゃねえか」
と、亀徳さんがいいました。
 「まさか、そ、そんなことはありません」
と和太郎さんは、おかあさんがそばにいるので、あわててうちけしました。おかあさんに心配させたくなかったからです。
 しかし、和太郎さんがいくらうちけしてもむだでありました。というのは、和太郎さんのふところから、大きなふなと、げんごろう虫と、かめの子が出てきたからであります。こういうものは池にしかいないものです。してみると和太郎さんの牛車は、どこかの池の中を通ってきたのです。
 「この黄色い花はなんだろう」
とまた、だれかがいいました。見ると、よぼよぼ牛の前あしのつめのわれめに、黄色い花がひとふさ、はさまっておりました。
 「れんぎょうの花ともちがうようだ。このへんじゃいっこう見ねえ花だなァ」
と、ひとりがいいました。
 「そりゃ、えにしだの花だ。えにしだは、このへんにゃめったにない。まァず、南の方へ四里ばかりいくと、ろっかん[#「ろっかん」に傍点]山のてっぺんに、このえにしだのむらがってさくところがあるげな。そして、ろっかん[#「ろっかん」に傍点]山のきつねは、月のいい晩なんかそのかげで、胡弓《こきゅう》をひくまねなんかしとるげなが」
と、植木職人の安さんがいいました。
 和太郎さんはしかたがないので、
 「面目《めんもく》ないけンが、どうやら、そこへもいったらしいて。ばかにりっぱな座敷があってのう、それが、たたみもふすまも天じょうも、みんな黄色かったてや。そういえば、耳のぴんと立った太夫《たゆう》がひとりござって、胡弓《こきゅう》をじょうずにひいてきかしてくれたてや。じゃ、あれが、きつねだったのかィ」
 「それにしても、どうして、あんな急な山のてっぺんへ、牛車がのぼったもんだろう」
と、村びとはふしぎがりました。
 「なにしろ申しわけねえだな、牛もおれもよっておったで」
と、和太郎さんはあやまるのでした。
 さておしまいに、村びとたちにも、和太郎さんにもどうしてか、わけのわからぬことがひとつあったのです。
 それは、牛車の上にひとつの小さい籠《かご》がのっていて、その中に、花たばと、まるまるふとった男の赤ん坊がはいっていたことです。
 どこでどうして、この籠《かご》をのせられたのか和太郎さんはいくら思い出してみようとしても、むだ骨おりでありました。てんでおぼえがなかったのです。
 「天からさずかったのじゃあるめえか」と亀徳《かめとく》さんがいいました。「和太さんが、日ごろから、子どもがほしい、女房《にょうぼう》はいらんが、といっていたのを天でおききとどけになって、さずけてくれたのじゃねえか」
 和太郎さんは、亀徳さんがいいことをいってくれたので、うれしそうな顔をしました。
 しかし次郎左《じろうざ》ェ門《もん》さんは、
 「そんなりくつにあわぬ話が、いまどきあるもんじゃねえ。子どもには両親がなけりゃならん」
といいました。
 また、芝田《しばた》さんはひげをいじりながら、
 「捨て子じゃろう。一ぺんあとから駐在所へつれてこい。調査書を書いて本署にとどけるから」
といいました。
 その後、和太郎さんは、赤ん坊の親たちがあらわれるのを待っていましたが、ついに、そんな人はあらわれませんでした。
 そこで、その子には和助《わすけ》という名をつけて、じぶんの子にしました。そして、一ぱいきげんのときにはいつもでも、
 「おらが和助は、天からさずかりものだ。おらと牛がよっぱらった晩《ばん》に、天からさずけてくださったのだ」
といいました。すると、りこうもんの次郎左ェ門さんは、
 「そんなりくつにあわん話がいまどきあるもんか。子どもにゃ両親がなきゃならん。よって歩い
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