か》だるをつんでいたからであります。
酒だるを、となり村の酒屋から、町の酢屋《すや》まで、とどけるようにたのまれたのです。その中には、お酒のおり[#「おり」に傍点]がつまっていました。おり[#「おり」に傍点]というのは、お酒をつくるとき、たるのそこにたまる、乳色のにごったものであります。
酒だるはゆれるたびに、どぼォン、どぼォン、と重たい音をたてました。そしてしずかな百姓の村の日ぐれに、お酒のにおいをふりまいていきました。
和太郎さんは、はれやかな顔をしながら、いつもこういう荷物をたのまれたいものだ、音を聞いているだけでしゃば[#「しゃば」に傍点]の苦しみを忘れる、などと考えていました。するととつぜん、ぼんと音がしました。
見ると、ひとつのたるのかがみ[#「かがみ」に傍点]板が、とんでしまい、ちょうど車が坂にかかって、かたむいていたので、白いおり[#「おり」に傍点]が滝《たき》のように流れ出していました。
「こりゃ、こりゃ」
と和太郎さんはいいましたが、もうどうしようもありませんでした。おり[#「おり」に傍点]は地面にこぼれ、くぼんだところにたまって、いっそうぷんぷんとよいにおいをさせました。
においをかいで、酒ずきの百姓や、年よりがあつまってきました。村のはずれに住んでいる、おトキばあさんまでやってきたところを見ると、おり[#「おり」に傍点]のにおいは、五町も流れていったにちがいありません。
みんながあつまってきたとき、和太郎さんは車のまわりをうろうろしていました。
「こりゃ、おれの罪じゃない。おり[#「おり」に傍点]というやつは、ゆすられるとふえるもんだ。牛車《ぎゅうしゃ》でごとごとゆすられてくるうちに、ふえたんだ。それに、このぬくとい陽気だから、よけいふえたんだ」
と和太郎さんは、旦那《だんな》にするいいわけを、村の人びとにむかっていいました。
「そうだ、そうだ」
と人びとはあいづちをうちながら、道にたまった、たくさんのおり[#「おり」に傍点]をながめて、のどをならしました。
「さて、こりゃ、どうしたものぞい。ほっときゃ土がすってしまうが」
と、年とった百姓がわらすべ[#「わらすべ」に傍点]をおり[#「おり」に傍点]にひたしては、しゃぶりながらいいました。
ほんとに、ほっとけば土がすってしまう、とみんなが思いました。そのとき和太郎さんがいいことを思いついたのでした。
和太郎さんは、牛をくびき[#「くびき」に傍点]からはなしました。そして、こぼれたおり[#「おり」に傍点]のところにつれていきました。
「そら、なめろ」
牛は、おり[#「おり」に傍点]の上に首をさげて、しばらくじっとしていました。それは、においをかいで、これはうまいものかまずいものか、と判断しているように見えました。
見ている百姓たちも、いきをころして、牛は酒を飲むか飲まぬか、と考えていました。
牛は舌を出して、ぺろりとひとなめやりました。そしてまたちょっと動かずにいました。口の中でその味をよくしらべているにちがいありません。
見ている百姓たちは、あまりいきをころしていたので、胸が苦しくなったほどでありました。
牛はまた、ぺろりとなめました。そしてあとは、ぺろりぺろりとなめ、おまけに、ふうふうという鼻いきまで加わったので、たいそういそがしくなりました。
「牛というもなァ、酒の好きなけものとみえるなァ」
と村びとのひとりが、ためいきまじりにいいました。
ほかのものたちは、じぶんが牛でないことをたいそうざんねんに思いました。
和太郎さんは、牛がおいしそうにおり[#「おり」に傍点]をなめるのを喜んで見ていました。
「おォよ。たべろたべろ。いつもおまえの世話になっておるで、お礼をせにゃならんと思っておったのだ。だが、おまえが酒ずきとは知らなかったのだ」
牛はてまえのおり[#「おり」に傍点]がなくなると、ひと足進んで、むこうのおり[#「おり」に傍点]をなめました。
「牛てもな、大酒《おおざけ》くらいだなァ」
と村びとのひとりが、ほしいもののもらえなかった子どものように、なげやりにいいました。
「いくらでもええだけたべろ」と和太郎さんは、牛の背中《せなか》をなでながらいいました。
「ようまでたべろ。よってもええぞ、きょうはおれが世話してやるで。きょうこそ、一生に一ぺんのご恩がえしだ」
ついに牛は、おり[#「おり」に傍点]をなめてしまい、土だけが残りました。もうあたりはうす暗くなっていました。和太郎さんはまた牛をくびき[#「くびき」に傍点]につけました。
青い夕かげが流れて、そこらの垣根《かきね》の木いちごの花だけが白くういている道を、腹いっぱいたべた牛と、日ごろのご恩をかえしたつもりの和太郎さんが、ともに満足をおぼえながらのろのろといきました。
四
さて、和太郎さんも、きょうだけはじぶんがお酒を飲むのをよそうと決心していました。和太郎さんの意見では、牛が飲んだうえに、牛飼いまでが飲むのは、だらしのないことであったのです。しかし、それなら和太郎さんは、帰り道を一本松と茶屋の前にとってはならなかったのです。すこしまわり道だけれど、焼場《やきば》の方のさびしい道をいけばよかったのです。
だが、和太郎さんは、なァに、きょうはだいじょうぶだ、と思いました。「おれにだってわきまえというものがあるさ」とひとりごとをいいました。そして一本松と茶屋の前を通りかかりました。
酒飲みの考えは、酒の近くへくると、よくかわるものであります。和太郎さんも、茶屋の前までくると、じぶんの石のようにかたかった決心が、とうふのようにもろくくずれていくのをおぼえました。
じつは和太郎さんも、牛に酒のおり[#「おり」に傍点]をなめさせているとき、じぶんも、のどから手の出るほど飲みたかったのを、おさえていたのでした。その欲望が、茶屋の前できゅうに頭をもちあげてきました。
「ま、ちょっと一服するくらい、いいだろう」
と和太郎さんは、手綱《たづな》を松の太いみきにまきつけながら、いいました。牛はいつものようにおとなしくしていました。
そして和太郎さんは、茶店に、手をこすりながら、はいっていきました。
いつものとおりでした。もうちょっと、もうちょっとといっているうちに、時間はすぎていきました。徳利《とっくり》の数もふえていきました。
茶屋のおよしばあさんが、いろいろ和太郎さんの世話をやいて、松から手綱をといてくれたり、小田原《おだわら》ちょうちんに火をともしてくれたのも、いつものとおりでした。
ただ、牛が地べたの上にねそべっていたことだけが、いつもとちがっていました。およしばあさんは、そうとは知らなかったので、もうすこしで牛につまずくところでした。和太郎さんは、
「坊よ、起きろ」
と、いいました。
牛は、ふううッと太い長い鼻いきでこたえただけで、起きようとしませんでした。
「坊よ、腹でもいてえか。起きろ」
といって、和太郎さんは、手綱でぐいッとひっぱりました。
牛はのろのろと、ものうげにからだを動かして、まずしりのほうを起こしました。前あしはふたつにおって地についたままでしばらくいて、大きい鼻いきをたてつづけにするのでした。
「あら、いやだよ。この牛は。かじやのふいごのように、ふうふう、いうんだもの」
と、およしばあさんはいいました。
「まるで、よいどれみたいだよ」
そのことばで、和太郎さんは、ようやく牛もたくさん飲んだことを思い出しました。そこでおかしくなって、げらげらわらっていいました。
「それにちげえねえ」
やっとのことで牛が前あしを立てると、和太郎さんはいよいよ家にむかって出発しました。
いつも茶屋のおよしばあさんは、和太郎さんが出発してから、かなり長いあいだ、和太郎さんの車の輪がなわて[#「なわて」に傍点]道の上にたてる、からからという音を聞いたものでした。それが、その日は、じききこえなくなってしまいました。へんだとは思いましたが、ばあさんは、あまり気にもとめませんでした。なにしろ、牛飼いと牛と両方がよっぱらっているのですから、どこへいくのやら、なにをするのやら、わかったもんじゃないからです。
五
和太郎さんの年とったおかあさんは、ぶいぶいと糸くり車をまわしては、かた目で柱時計《はしらどけい》を見あげ見あげ、夜おそくまで待っていました。
そのうちに、年とってすすびた柱時計は、しばらくぜいぜいと、ぜんそく[#「ぜんそく」に傍点]持ちのおじいさんのようにのどをならしていてから、長いあいだかかって、十一時を打ったのでありました。
いつも十一時が打つころには、外に車の音がきっとしてくるのでした。今夜はどうしたことだろう、とおかあさんは思いました。
十分すぎました。まだ車の音が聞こえてきません。おかあさんは心配になって、ひざから綿くずをはらい落としながら、門口に出てみました。
よい月夜で、ねしずまった家いえの屋根の瓦《かわら》が、ぬれて光っていました。道はほのじろくうかびあがり、遠くまで見えていました。けれど遠くには和太郎さんの車のかげはありませんでした。
和太郎さんが夜、家に帰らなかったことといえば、いままでに、ほんのかぞえるほどしかありませんでした。おかあさんは、どんなときに和太郎さんがよそでとまったか、ちゃんとおぼえていました。和太郎さんが小学生だったころ、学校から伊勢参宮《いせさんぐう》をしたときふた晩、それから和太郎さんが若い衆であったころ、吉野山《よしのやま》へ村の若い者たちといっしょにいったときが五晩、そしてやはり若い衆であったころ、毎年村の祭の夜ひと晩ずつ山車《だし》の夜番をしにいったものでした。そのほかに、和太郎さんが、家をあけてよそでとまってきたことは、一ぺんもなかったのです。そこでおかあさんは、だんだん心配になってきました。
十一時が二十分たちました。まだ和太郎さんは帰ってきません。おかあさんはとうとう決心しました。駐在所《ちゅうざいしょ》のおまわりさんのところへ相談にいったのでした。
おまわりさんの芝田《しばた》さんは、なにか事件でも起こったかと、電燈の下であわてて黒いズボンをはき、サーベルを腰につるしながら下《お》りてきました。
しかし芝田さんは、話を聞いて、すこしはりあいがぬけました。
「そりゃ、また和太さんが一ぱいやったんだろう」
といいました。
「ンでも、こげなこと、一ぺんもごぜえませんもの。あれにかぎって、いくらよっておっても、十一時にはちゃんと帰ってきますだがのィ」
と、和太郎さんのおかあさんはいいました。そして、十一時が二十分すぎてもまだ帰ってこないのは、きっと、とちゅうでおいはぎ[#「おいはぎ」に傍点]にでもつかまったにちがいないといいはるのでありました。
芝田《しばた》さんは、このおさまった御代《みよ》に、おいはぎ[#「おいはぎ」に傍点]などが、やたらにいるものではないことをきかせました。和太郎さんが、いつもじぶんは正体もなくよって、牛にひかれて帰ってくるのだから、今夜は、牛がなにかのぐあいで二、三十分おくれたのだろう、なにしろ牛などというものは、あまり時間の正確な動物ではないから、ともいうのでした。
けれど和太郎さんのおかあさんは、じぶんの考えをいつまでもいいはるので、芝田さんもとうとう根負《こんま》けしてしまって、
「よし、それでは、そうさくすることにしよう」
といいました。
いつも事件が起こったときには、村の青年団が駐在巡査の応援をすることになっていましたので、芝田さんは青年団の人びとにあつまってもらいました。まもなく青年団員は制服を着てゲートルをまいて、ぼうきれを持ってよってきました。青年団員ばかりでなく、ほかのおとなや、腰のまがりかかったおじいさんまで、やってきました。
じつは、このような、夜中に人が消えたというような事件は、この村には、もうなん十年も、なかったのでした。このまえ、青年団が芝
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