、これがあったんだなァ」
といって、おとうさんにきいてみると、それは、いぜんたばこをのむ人が持っていた、火ざらというものだそうである。そのさらの上に、まだ火のついているすいがらをのせておき、つぎのたばこにすいつけるための道具なのだそうである。
「そいでも、ここにこんなへそ[#「へそ」に傍点]みたいなものがあるのは、どういうわけだン?」
と、久助君は、あまりのばかばかしさに、すこしはらをたてていった。そのへそ[#「へそ」に傍点]には小さいあながあって、そこにひもを通したにすぎないと、おとうさんは教えてくれたので、もう久助君は、なにもいうことがなかった。まんまと、太郎左衛門に一ぱいくわされたのである。
 それにしても、なぜ太郎左衛門は、あんなうそをつくのだろう。なんというわけのわからぬやつだろう。
 よく日、久助君は、教室のまどにもたれてぼんやりしているうそつきの太郎左衛門の顔を、かれに気づかれぬよう、こちらの人かげから、まじまじとながめていた。そして、さらにきみょうなことを発見したのである。
 それは、太郎左衛門の目は、左右、大きさがちがうということである。右の目は大きい。左は小さい。そして、そのうえおかしいことに、大きい目は、美しい、なごやかな、てんしんらんまんな心をのぞかせているのに、小さい目は、いんけんで、ひねくれていて、狡猾《こうかつ》なまたたきをするのである。
 こいつはへんだと、久助君が一生けんめい見ていると、さらに、耳も左右大きさと形がちがい、鼻でさえも、左の小鼻と右の小鼻はちがっているので、すこしゆがんで見えることがわかった。
 久助君は考えた。――太郎左衛門は、ひとりの人間じゃなくて、ふたりの人間が半分ずつよりあってできているのじゃあるまいか。いぜん、久助君は、ねんどで人形を製造するのを見たことがある。まず、ふたつの型によって、人形は、半分ずつつくられ、それからふたつの半分がうまく合わさって、ひとつの人形になるのであった。神さまがわれわれ人間をつくり出すのも、あれと同じ方法でするのだろう。そして、太郎左衛門はなにかのまちがいで、大きさのちがう、うまく合わない半分ずつが合わさってできたのかもしれない。だから、太郎左衛門の中には、ふたりの人間がはいっているのだ。
 ――それなら、太郎左衛門が平気でうそをいったり、なにを考えてるのかわけがわからなかったりす
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