いものを持ってきたときには、つい、好奇心のため、ゆだんしてしまうのである。
 太郎左衛門の説明によれば、そのまるいものはゾウゲでできていて、シナ人が横浜で売っていたのだそうである。そいつを、耳にうまいぐあいにあてていると、音楽がきけるしかけになっているというのである。
 まず、森医院の徳一君からはじめて、みんなは、それを順番に耳にあてがってきいた。みんなが、聴診器《ちょうしんき》を耳にしている医者のように、しんちょうなおももちできいていると、太郎左衛門は、
「ね、きこえるだろう。マンドリンみたいな音が。あれ、シナの琴《こと》なんだって」
といった。すると、「う、うん」と、なま返事するものもあった。「うん、ちいせい音だなあ」といって、にっこりするものもあった。「きこえやしんげや」といって、二、三どふって、またあてがってみるものもあった。
「また、太郎左衛門のうそだァ」
と、太郎左衛門がいるのにそういったものがあった。それは兵太郎君であった。しかしこの場合、みんなはむしろ兵太郎君を信じなかった。というのは、兵太郎君は、十日ほどまえから、かたほうの耳が耳だれ[#「耳だれ」に傍点]で、いやなにおいのする緑色のうみをだらりとたらしていたので、みんなが、例の音楽の道具をかそうとしなかったため、くやしがっていたからである。
 久助君の番がきた。うけとってみると、黄色なつるつるの美しいゾウゲである。どびんのふたのように、一方がくぼんでいる。そして、くぼんだところのまん中に、小さいへそ[#「へそ」に傍点]みたいなものがとび出ている。そのへそ[#「へそ」に傍点]を、うまく耳のあなにはめこんできくのだそうである。
「うーう」と、モートルのうなっているみたいな音が、はじめきこえた。その「うーう」のなかに、マンドリンの音がまじってやしないかと、一心ふらんにきいていると、なるほどかすかに、ピンピンペンペンというような音がきこえるような気がする。
「うん、きこえるきこえる」
と久助君はいって、つぎのものにわたしたのであった。
 それからまもなく、あしたは春の遠足という日に、久助君はじしゃく[#「じしゃく」に傍点]をさがすため、茶だんすの引き出しをみなひっぱり出して、いろんなガラクタのなかをかきまわしていた。すると、なかから、太郎左衛門が持っていたのと同じゾウゲのまるい道具が出てきた。
「うちにも
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