足でふんでおくこともあった。遊びのはてにするこの精算は私の心に美しいもの純潔《じゅんけつ》なものをもたらした。子どもでありながらなんといじらしいことをしたものだろう。
ある日の日暮《ひぐれ》どき私たちはこの遊びをしていた。私に豆腐屋《とうふや》の林太郎《りんたろう》に織布《しょくふ》工場のツル――の三人だった。私たちは三人同い年だった。秋葉《あきば》さんの常夜燈《じょうやとう》の下でしていた。
ツルは女だからさすがに花をうまくあしらい美しいパノラマをつくる、また彼女《かのじょ》はそれをつくり私たちにみせるのがすきだった。ではじめのうち林太郎《りんたろう》と私のふたりがおにでツルのかくした花をさがしてばかりいた。
私はツルのつくった花の世界のすばらしさにおどろかされた。彼女は花びらを一つずつ用い草の葉や、草の実をたくみに点景《てんけい》した。ときには帯《おび》のあいだにはさんでいる小さい巾着《きんちゃく》から、砂粒《すなつぶ》ほどの南京玉《なんきんだま》を出しそれを花びらのあいだに配《はい》した。まるで花園に星のふったように。そしてまた私はツルがすきだった。
遊びにはおのずから遊
前へ
次へ
全9ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング